先日、障害児を抱える父親と懇談しました。その方から聞いた体験談です。
そのお子さんは現在中学校一年生。
障害特性としては、知的ハンデを伴う自閉症の傾向が強いお子さんだそうです(まだお会いしていないのでお父さんの話)
学校は、小学校5年まで支援学級に通い、6年生から支援学校へ転学して2年目です。

何故、支援学級から支援学校へ転学したか?そのキッカケは給食でした。
支援学級へ通っている時、給食の時間である問題?があり、給食に大きなトラウマを持ってしまったそうです。それから、給食は一切食べなくなってしまったそうです。
それを家族が心配して、学校の教員に相談。
すると教員は「何ででしょうね~」と他人事のようにあまり深く考えてくれなかったとのことです。
そして親は心配して、給食を食べないのならお弁当を作って持参させようと・・・。
それについてまた教員へ確認すると「そうしたいのであればそうしてください」という感じの素振りだったようです。

要するに、支援学級の教員は全くお子さんの問題解決という観点から一緒に考えてくれるような素振りが見受けられなかったとのことです。
そこで、お子さんの事も考えて、あと1年間を残しながらも、小学校6年生から支援学校へ転学したそうです。

そして同じく支援学校でも給食の問題は引きずったままでした。
そうしたところ支援学校の先生は、親と一緒に様々と考えて悩んでくれたそうです。
ある時、先生が「給食(キュウショク)という言葉に対してトラウマがあるのでは?」と気づき色々と工夫をしてくれました。
それは、時間割表にその子だけ「給食」と書かずに「ランチ」と書いたのです。

そして教室で食べるのでは無く、ランチルームでランチを食べると言葉の変化をさせたのです。
そうしたところ、そのお子さんは見事に給食をランチとして食べるようになったそうです。

私たちからすると給食もランチも一緒。
言葉のニュアンスが違うだけで、昼飯です。
しかし、一度トラウマになってしまった「給食」は「ランチ」へと変化して、別物と解釈して克服できました。この話を聞いたときに「療育とは丁寧な子育て」という言葉がまた深く納得できました。

確かに私たちも言葉から入る嫌悪感とかありますよね?
差別用語に関しては、この事で様々と議論があります。
例えば「障害」を「障がい」「障碍」「しょうがい」「ショウガイ」とする。
意味は同じなのですが、これについても各所で意見の考察があります。

そんな私たちでさえ、言葉というものは気持ちに大きな影響を及ぼします。
給食はランチへの変化して、その子の栄養になっていき、そして親も一安心したというなかなか良いお話しでした。