今回の話題も2回に分けて書きたいと思います。
この4日間は、Twitterでみんなのツイートを読みながら纏めて色々な事を考えた。
事の発端は5月26日、ある国会議員のブログで「発達障害を予防する伝統的子育てとは」と題してブログが掲載された。
そのブログを読んだ時、今月初旬に大阪市の維新の会が条例案として提出予定だった「家庭教育支援条例」を思い出した。
ただその時の怒りより、今回の件は冷静に考える事が出来た。
以前の大阪維新の会の議員らは問題が大きくなると「作ったのは私たちじゃ無い」と責任逃れしてその後は知らんぷりを決め込んでいる。そして「白紙撤回」をして、その条例案の素案制作経緯については、うやむやになったままだった。
しかし、今回の某国会議員は、自身のブログで文責を明確にして、そしてキチンとコメント欄を設けてみんなの批判も公開している。
私の中でこの差は大きく捕らえた。
そこで「ではどうしたら良いか?」という事を考えてみた。
まずこの某国会議員のブログ。私も拝見させて頂き、コメントもさせて頂いた。
そこにも書いてあるように、教育については真面目に「何とかしなければ」という思いは強くあったと思う。
そして「何かしないといけない」という思いも国政を担う立場として、強く感じている事は伺えた。
単純に発達障害に無知で、勉強不足、そして発達障害者を抱える家族をバカにしているのではないと感じた。
ではどうしたら良いか?ということも考えてみた。
大きく分けて解決方法は3点。
1.発達障害が愛情不足により起こり、愛情を与えれば治ると珍説を唱えている某団体に対して徹底抗戦をかけて間違えを正すやりかた。
2.この間違えた考えを広めようとしている人たちに対して協力、賛同している人に対して「間違えていますよ」と教えたり、または障害に対して理解や協力を広げるやりかた。
3.100の机上の論理よりも1つの自分の体験や経験は、何物にも勝るという発達障害児・者を抱える親(家族)が1人1人が確信を持つやりかた。
1に関しては相手は学者であり、教育論者。そして民間の団体である。これを個人が相手に対して論理でねじ曲げるやり方はあまり正攻法ではないのでこれは個人のやり方としては限界があるので除く。
2に関しては、相手の人は発達障害に関しては経験不足であり、悪く言えば「無知」である。私も我が子が産まれる前は全く発達障害に関しても興味無かったし、勉強もせず言わば無知であった。というより今でも様々な子どもの障害特性をみる度に、新しい発見をみつけその都度勉強させてもらっている。
当事者を抱える親ですらそうなのに、障害に関して無関係な人に対して上から「こうだ!」と話してもそれは所詮「上から目線」であり、相手は話は聞くかもしれないが、クレームの一環として受けてそれで終わってしまうだろう。
ただ言わないといつまでも理解が広まることもなく、いつまでも間違った考えが浸透する恐れもあるので、それについて「諭す」そして「理解してもらう」「分かって頂く」そして最後は「協力者になって頂く」という姿勢で臨めば良いのではと思う。
私はこのブログでも何度も書いているとおり、実際に数々の国・県・市会議員との方と一対一で懇談している。それ以外にも会社経営者や行政職員の人、官僚や、そして一般の人ともたくさん交流している。
そこで感じている事は相手の社会的立場がどんなに自分より上であったとしても、発達障害に関して知識や経験は私の方が勝っているという事はいつも思いながら説明している。
でもこれは上から目線ではない。
相手からみれば、この発達障害に関しては、その障害を理解しなくても、協力をしなくても良いはず。
しかしこの話題で私の前に座って話を聞いてくれると言うことは、それだけで相手に対して感謝しなければならない。
私は懇談の前に必ず相手に言うことがある。それは「今日は私と私の息子のことで、貴重なお時間を取って頂き誠にありがとうございます」とまずは御礼を述べている。
これは懇談している方もこのブログは読まれているので嘘か本当かはすぐに分かること。
私は相手の方は「我が子の発達障害の支援について、大切な時間を割いて話を聞いてくれる有り難い方」と思って接している。
これはどんな懇談であろうとも、時間を割いてわざわざ話をきいてくれるのだから、相手の立場を尊重する事は大切。
その姿勢から話していけば、相手も真剣に考えてくれる。そして問題も理解してくれる。苦労も分かってくれる。
そして発達障害の支援については一番大切な事は、障害当事者が幼少の頃は自分で訴えてこの障害に対して支援をしてもらうことはできないので、私たちのような保護者がキチンと代弁する責任がある。
また、障害当事者の人を本当に自立させたいと思うのであれば、理解者ではなく、協力者をつくらなければ変わらないということ。
理解とは一見、自分の話が通ったから理解されたと思うが、理解だけでは何も変わらない。大切な事はその障害者支援に協力してくれる人をつくること。
理解だけで終わってしまうと、協力者が少なければ世の中の制度は全く変わらない。だから協力者を増やさないと障害当事者の生活の立場は一向に変わらないということ。
私はいつも協力者を増やす気持ちで行動している。
私の周りには家族・親戚・幼稚園・小学校・近所・友人・職場など数え切れないほどの理解者は居る。しかしその中から協力してくれる人が出てこない限り、我が子の将来は無いと思っている。
私が今まで懇談した、数々の障害児・者の親たちのなかで、充実した話を聞くと必ずその裏にはたくさんの協力者がいる事が伺えた。
だから私は「理解者を増やす」より「協力者を増やす」努力をしている。
さて、もうひとつの「3.100の机上の論理よりも1つの自分の体験や経験は、何物にも勝るという発達障害児・者を抱える親(家族)が1人1人が確信を持つやりかた。」については次回のブログで書きたいと思います。
この4日間は、Twitterでみんなのツイートを読みながら纏めて色々な事を考えた。
事の発端は5月26日、ある国会議員のブログで「発達障害を予防する伝統的子育てとは」と題してブログが掲載された。
そのブログを読んだ時、今月初旬に大阪市の維新の会が条例案として提出予定だった「家庭教育支援条例」を思い出した。
ただその時の怒りより、今回の件は冷静に考える事が出来た。
以前の大阪維新の会の議員らは問題が大きくなると「作ったのは私たちじゃ無い」と責任逃れしてその後は知らんぷりを決め込んでいる。そして「白紙撤回」をして、その条例案の素案制作経緯については、うやむやになったままだった。
しかし、今回の某国会議員は、自身のブログで文責を明確にして、そしてキチンとコメント欄を設けてみんなの批判も公開している。
私の中でこの差は大きく捕らえた。
そこで「ではどうしたら良いか?」という事を考えてみた。
まずこの某国会議員のブログ。私も拝見させて頂き、コメントもさせて頂いた。
そこにも書いてあるように、教育については真面目に「何とかしなければ」という思いは強くあったと思う。
そして「何かしないといけない」という思いも国政を担う立場として、強く感じている事は伺えた。
単純に発達障害に無知で、勉強不足、そして発達障害者を抱える家族をバカにしているのではないと感じた。
ではどうしたら良いか?ということも考えてみた。
大きく分けて解決方法は3点。
1.発達障害が愛情不足により起こり、愛情を与えれば治ると珍説を唱えている某団体に対して徹底抗戦をかけて間違えを正すやりかた。
2.この間違えた考えを広めようとしている人たちに対して協力、賛同している人に対して「間違えていますよ」と教えたり、または障害に対して理解や協力を広げるやりかた。
3.100の机上の論理よりも1つの自分の体験や経験は、何物にも勝るという発達障害児・者を抱える親(家族)が1人1人が確信を持つやりかた。
1に関しては相手は学者であり、教育論者。そして民間の団体である。これを個人が相手に対して論理でねじ曲げるやり方はあまり正攻法ではないのでこれは個人のやり方としては限界があるので除く。
2に関しては、相手の人は発達障害に関しては経験不足であり、悪く言えば「無知」である。私も我が子が産まれる前は全く発達障害に関しても興味無かったし、勉強もせず言わば無知であった。というより今でも様々な子どもの障害特性をみる度に、新しい発見をみつけその都度勉強させてもらっている。
当事者を抱える親ですらそうなのに、障害に関して無関係な人に対して上から「こうだ!」と話してもそれは所詮「上から目線」であり、相手は話は聞くかもしれないが、クレームの一環として受けてそれで終わってしまうだろう。
ただ言わないといつまでも理解が広まることもなく、いつまでも間違った考えが浸透する恐れもあるので、それについて「諭す」そして「理解してもらう」「分かって頂く」そして最後は「協力者になって頂く」という姿勢で臨めば良いのではと思う。
私はこのブログでも何度も書いているとおり、実際に数々の国・県・市会議員との方と一対一で懇談している。それ以外にも会社経営者や行政職員の人、官僚や、そして一般の人ともたくさん交流している。
そこで感じている事は相手の社会的立場がどんなに自分より上であったとしても、発達障害に関して知識や経験は私の方が勝っているという事はいつも思いながら説明している。
でもこれは上から目線ではない。
相手からみれば、この発達障害に関しては、その障害を理解しなくても、協力をしなくても良いはず。
しかしこの話題で私の前に座って話を聞いてくれると言うことは、それだけで相手に対して感謝しなければならない。
私は懇談の前に必ず相手に言うことがある。それは「今日は私と私の息子のことで、貴重なお時間を取って頂き誠にありがとうございます」とまずは御礼を述べている。
これは懇談している方もこのブログは読まれているので嘘か本当かはすぐに分かること。
私は相手の方は「我が子の発達障害の支援について、大切な時間を割いて話を聞いてくれる有り難い方」と思って接している。
これはどんな懇談であろうとも、時間を割いてわざわざ話をきいてくれるのだから、相手の立場を尊重する事は大切。
その姿勢から話していけば、相手も真剣に考えてくれる。そして問題も理解してくれる。苦労も分かってくれる。
そして発達障害の支援については一番大切な事は、障害当事者が幼少の頃は自分で訴えてこの障害に対して支援をしてもらうことはできないので、私たちのような保護者がキチンと代弁する責任がある。
また、障害当事者の人を本当に自立させたいと思うのであれば、理解者ではなく、協力者をつくらなければ変わらないということ。
理解とは一見、自分の話が通ったから理解されたと思うが、理解だけでは何も変わらない。大切な事はその障害者支援に協力してくれる人をつくること。
理解だけで終わってしまうと、協力者が少なければ世の中の制度は全く変わらない。だから協力者を増やさないと障害当事者の生活の立場は一向に変わらないということ。
私はいつも協力者を増やす気持ちで行動している。
私の周りには家族・親戚・幼稚園・小学校・近所・友人・職場など数え切れないほどの理解者は居る。しかしその中から協力してくれる人が出てこない限り、我が子の将来は無いと思っている。
私が今まで懇談した、数々の障害児・者の親たちのなかで、充実した話を聞くと必ずその裏にはたくさんの協力者がいる事が伺えた。
だから私は「理解者を増やす」より「協力者を増やす」努力をしている。
さて、もうひとつの「3.100の机上の論理よりも1つの自分の体験や経験は、何物にも勝るという発達障害児・者を抱える親(家族)が1人1人が確信を持つやりかた。」については次回のブログで書きたいと思います。