小学校就学への取り組みシリーズも今回で区切りを付けたいと思います。
このシリーズはこれで最後です。
少し長文です。

ボクが支援学校を視野に入れ始めたのは、ある方との懇談がキッカケでした
その方は埼玉県内でも重責を担う方で、今まで障害者オリンピックの実行委員長なども務め、また特別支援学校の開校などにも関わり、それ以外にも何百人という障害者の家族や本人たちから相談を受けた経験ある方です。

この方は、真輝が誕生した時からずっと真輝を知っていて、そして真輝が発達障害である事も知っており、真輝にも何度も会っています。
5月下旬のある日、その方と就学について懇談した時です。

「マサキングさんは特別支援学校は考えていなのですか?」と質問されました。
その時にすぐにボクは「真輝はそこまで障害が重くないですし、普通級か支援学級で迷っているので、支援学校は全く考えていないです」と伝えました。

そうしたところその方がまたボクに質問してきました。
「どうして支援学校は考えていないの?支援学校だと何か問題でもある?」と。
ボクは「支援学校に入れたらずっと真輝に一生涯、障害者というレッテルを貼ることになってしまいます。出来たら定型発達の人たちと生活させていずれは普通に就職して欲しいと思っています。そして普通に結婚してほしいなぁと」

するとこの方が言いました。
「支援学校に行っても就職している人はたくさん居るよ。そして結婚している人も。そして人生を楽しく幸せに過ごしている人だってたくさんいる。それではダメなの?」と。
そして続いてこのように言いました。
「マサキングさんはブログや西田(参議院議員)さんとの懇談で、障害者に関する支援活動に一生懸命に取り組んでいるのに、どこかヘンだよね?支援学校に行ったら将来がなくなると考えていない?それはアナタ自身が健常者であるが故にどこかで障害者を差別している意識があるということでは?」と言われました。

この言葉を聞いたときには頭から冷や水をかぶせられ、ハンマーで叩かれたような思いがしました。

「確かにそうだ。ボクはどこかで普通という定義に拘っている。でもその普通では二次障害やイジメ。そして社会交流などの様々なストレスによって真輝は大きなリスクを追うかもしれない。そしてヘタしたら就職どころではなく、真輝の人生その物を不幸にしてしまうかもしれない」と思いました。

そしてその方が言われました。
「ボクはね。家族には障害者は居ないけど、たくさんの障害者の方たちと接してきたり、そのご家族の方々から数々の悩みもご相談されてきた。知的・精神障害者でありながら普通という枠に捕らわれて、人との交流で躓き、ともて悲惨な状態になってしまった人もたくさん見てきた。就職どころではなく、引きこもりや家庭内暴力、そして場合によっては犯罪に手を染めてしまった人も居た。でもね。支援学校に見学に行ったり、グループホームや障害者の方々の職場を見学に行くと、そこにはいつも笑顔で楽しく生活している人がたくさんいる。すごく素直に微笑んで、そして嫌な事は嫌だと表現して、時には強く叱られることもあるけれど「その人なりに」みんな一生懸命に生きている人をたくさん知っている。中には支援学校でお世話になったことがキッカケで「自分も教師を目指す」と言って努力して支援学校の教師になった人も居たよ。ボクは「真輝君にとってここが良いよ」とは決して勧めることはしないけど、もっと幅広い視野を持って、真輝君の為に将来までをキチンと真剣に考えて、決して今の状態だけで判断せずに就学については検討してみた方が良いよ」と言われました。

そしてその後、この方からのご紹介によって、とある支援学校の教頭と懇談させて頂きました。
その支援学校に訪れたときに、ボクが考えていた支援学校のイメージが大きく変わりました。
以前は「養護学校」と言われていた頃は、ホントに重度な障害の方が在校して、養護することでやっと生活を送っている子どもや、会話も全く成り立たない子どもなどばかりのイメージがありました。
でもその見学した支援学校は、特別支援教育が行き届いており、中学生や高校生ともなると「普通の子?」と感じる様な生徒もたくさん居ました。

みんな廊下ですれ違うときに笑顔で挨拶。
見学させて頂いた授業でも、みんな活き活きして活動していました。
そして先生たちもみんな子どもに対して真剣。そして優しくて生徒を一生懸命に考えている姿勢がありました。
また、軽度な障害の子どもは重度な子どもの面倒を見たり、サポートをしたりしていました。
重複障害がある子どもの車いすを押してあげていたりと、ボクが思っていた障害者の学校というイメージから大きく違っていました。

そして教頭との懇談の時に、ボクが思った感想を伝えました。
するとその教頭先生は「障害者自立支援制度が変わり、養護学校という呼び名から支援学校と変わりました。これはただ単に法律の関係で名称が変わっただけでは無くて、自立支援を中心とした教育を行う、スタイルに変わっていってます。」と言われました。
また「現在は真輝君のような軽度な障害の子どもの専門の支援学校は県内にありませんが、これから先はこのような軽度発達障害の子どもたちを支援する場は間違いなく必要になってくると思います。我が校にも軽度が故に普通の学校で生活をして人との交流で躓き、精神的に辛い思いをして転入されてくる子どもが居ます。残念ながらその子たちは二次障害を負って、引きこもりになったり、また暴力的になったりしていました。そのケアに数年かかった子どもも居ました。これからはそのような生徒の為にも、精神科医を配置して、ケアをする体制も整えていくつもりです」と言われました。

今回、真輝の就学については6月に懇談したこの2名の方との懇談で、ボクの支援学校と真輝の将来設計で大きく気持ちが変わり、真輝を支援学校へ入学をさせたいと思うようになりました。

その後は、この就学への取り組みシリーズで書いた、「普通」という考えへの拘りもなくなり「真輝が幸せと思えるような真輝らしい人生を送らせてあげたい」という考え方が心の底から素直に思えるように出来ました。
もし真輝が、将来どこにも就職が出来なかったオレが職場を作ってやるという、ボクとしても強い意志も固まり、真輝に対する父としての責任も明確に決意する事が出来ました。

小学校就学への取り組み3 でボクは真輝に将来なって欲しい職業を書きました。
1.障害者の介護をする仕事に就いて欲しい
2.自衛隊
3.日本のものづくりを象徴するような、製造系のお仕事に就いてほしい

2に関してはボクの想いだけなので省きますが、1と3は支援学校に通っても出来る仕事です。
というより1に関しては以前も書いたとおり、障害児の中で生活をしていけば、その介助などの気持ちも理解していき、いずれはそのような職業に就きたいと思ってくれれば良いなと感じています。

でも真輝自身が将来「他の職業を目指したい」というのであれば・・・
それは、真輝自身が目指し、決意し、努力すれば良いことです。

現段階では、まだ就学先については決定していません。
さいたま市では自ら支援学校を希望するという就学相談が殆どない状態です。

真輝も軽度が故に、その前例も限りなくゼロに近い状態なので、親の強い意志を様々な機関で何度も何度も確認されていると状態です。

就学相談センター・そしてさいたま市、次は埼玉県との懇談です。
いくつもの機関で、意志の確認をされています。そしてたくさんの資料を記載しています。

多分、入学ギリギリまで決定はされないだろうと思います。

でも、この前例の無い就学についてはボクの強い考えを持って、取り組んでいきたいと思います。

ボクは父として、真輝の将来を作り上げて自立させる事がボクの使命です。
未来永劫までボクが生きている限り、ボクは真輝の父親であり、ボクは真輝を幸せに導く義務と責任があります。

だからボクは全力でサポートするのが役目だと思っています。
このシリーズを最後まで読んで頂きましてありがとうございました。

マサキング子育て奮闘記 ‐広汎性発達障害の息子を抱える父親の日記‐-パパの決意