就学への取り組みシリーズの合間のブログになりますが、今回はどうしてもこの下書きにずっと保存していたブログを公開したかったので、このタイミングが良いかな?と思いましたので公開します。

ボクが真輝の就学先に特別支援学校を選択したことは、この「幸せの価値観」を考えました。

要するに「その人らしさ」ということです。
「真輝らしい人生」を真輝が自分で歩んで欲しいと願っています。

日本は高度成長期の頃、学歴社会で組織のピラミッドが形成されていきました。
そして上に立つ人は当然、高学歴で高収入となりました。
高収入を得る為には良い学歴が必要でした。

そこで、ボクらの世代より上の人たちは、学歴社会で競うために、みんな猛勉強をしました。
そして、その様な方々が官僚となり、政治家となり、先生と呼ばれる立場の方々になっていきました。
中には、この学歴社会や、高学歴で高収入を否定する人も多いと思いますがボクは否定しません。
何故なら、その方々はやはりボクらが想像も付かないほどの、努力と苦労をされてきたからです。
そういう時代だったのです。

ただ、これからの時代は、そこに「幸せ」を求める価値観が変わってくるのでは?と思っています。
正しいかは分かりません。でもボクは幸せという価値観を考えた時に、「高収入=幸せ」とは思えないのです。

以前、ある方からこんな例え話を聞きました。
それは高学歴で、大会社に勤めている人が、バカンスで南の島に行って海岸で休暇を楽しんでいた時の話です。
その人の前を、地元の子ども達が浜辺で遊んでいました。そして子ども達の光景を見て、その高学歴で大会社に勤める人は、子ども達にこの様に声を掛けたのです。

「子どもの頃からそんなに遊んでいると立派な大人になれないぞ」
と。
すると子ども達は、このように質問しました。
「立派な大人って?」

その人が答えました。
「立派な大人になるにはたくさん勉強しなければならない」
「たくさん勉強したらどうなるの?」
「良い大学に入れるんだよ」
「良い大学に入ってどうなるの?」
「良い会社に入れるんだよ」
「良い会社に入ってどうなるの?」
「たくさんお金をもらうんだよ」
「たくさんお金をもらってどうなるの?」
「幸せな老後を暮らすんだよ」
「幸せな老後って?」
「そうだな・・暖かい国にでも行って幸せに暮らすことかな」

「それじゃあ、いまボクらがやっている事だね」


この話は例えだと思いますが、この様に幸せという価値観はみんな違う。
だからそれが例え我が子であったとしても、親の価値観を押しつけることは間違っていると思っています。
マサキング子育て奮闘記 ‐広汎性発達障害の息子を抱える父親の日記‐-幸せの価値観
ボクにはボクの人生があるように、真輝には真輝の人生がある。

ボクは真輝の人生を真輝らしく過ごせるように、協力してバックアップしてやる事がボクの役目だと思っています。

今の段階では何も分からないし何も見えない。
だから親がその責任を負うことで、大きなプレッシャーを感じてしまうけど、それは真輝の成長と共に時が解決してくれると思っています。

だから今は、ボクが思っている幸せの価値観で、真輝の将来を考えてやり、その土台を導いてやる事が一番の役目かな?と考えています。