今日は大阪に来て、ミユヤマさんの告別式に参列した。
告別式の話なのに「門出という題名は失礼では?」とお叱りを受けるかもしれないが、この「門出」とは、ミユヤマさんの3人のお子さん達の新しい人生のスタートという意味でつけた。
母子家庭で生活の大黒柱であった母を突然失ってしまった3人の子どもは、それでもこれからも人生を歩んでいかければならない。
今日告別式の会場に行くまでは「ドッキリだよ」なんて言われることを少し期待もしつつ、まだ信じられない気持ちの中で会場へ向かった。
一番気がかりだったのがやっぱり3人の子どもの状態。
1番上の長女さんは17歳の高校2年生。長女は告別式の間も涙一つ流さず、ジッと母の変わった姿を見つめながら、花を添えていった。
2番目の次女のくるみちゃんは15歳の中学3年生。
重度の肢体不自由でありながらも、今まで毎日母に連れられて、通常の中学校に通っていた女の子。
手が不自由でありながらも、震えた両手を合わせて目頭を熱くさせながらもジッと合掌していた。
3番目の5歳になったばかりの重度知的障害(小児マヒ)のちっちは、まだ母を亡くしたという事も理解していなかった。
ちっちはずっと介護ヘルパーの方に抱えられ、母の顔や身体を触っていた。母の顔をツンツンと突っついては起こそうとしていた姿を見たときに、さすがにボクも涙に誘われた。
出棺の時まで冷静に対応していた子どもたち。
ボクが印象に残ったのは、長女の強い心の持ち方。
茶髪で今の女の子という風貌ではあるが、キチンと挨拶して、人からの励ましにもちゃんと対応していた長女の姿はとても印象的だった。
思い出の品々が入れられていく時は、さすがにボクも辛く目を背けてしまった。
出棺の後、戻ってきた子ども達と対話する事が出来た。
まずはいつも送っていた洋服のお礼をされた。
長女さんはとても冷静に対応されていた。
くるみちゃんは、小さい声ながらも笑顔を作り、やはり洋服の事についてお礼された。
「また良ければ洋服を送っても良い?」と聞くと「是非お願いします」と言ってくれた。
そして久しぶりにあった、5歳になったちっち。
彼女はとても乱暴な遊びが大好きな事を知っているボクは、早速抱きかかえて、飛行機遊びをした。
凄い喜んでは「もっとやって」とせがむようにボクの手を引っ張っていた。
今までコップで飲み物を飲むことも出来なかったのに、今ではキチンとコップを使うようにもなった。
そして食べ物は臭いでかぎ分けて、食べられるものだけは口に入れるようにもなった。
みんな確実に成長していた。
実際に告別式に参列してちょっと安心できたこともある。
それは、まだお爺ちゃんお婆ちゃんが健在であること。
そしてミユヤマさんの姉妹も2人居て、それぞれ所帯をもっていること。
大阪では身寄りが無い状態になってしまったが、3人のお子さんにはまだ頼りに出来る親族が居たということが少し安心できた。
ただ親族の会話の中では、やはり子ども達の「これから」の身の振り方について話し合っていた。くるみちゃんが今は中学3年生。
来年の春には卒業を迎える時期なので、それまでは大阪で・・・という意見も出ていた。
子ども達もお友達が居るので急には離れたくないという気持ちが強いらしい。
そんな現実の問題も間近で見させて頂きつつ、今日の告別式を参加させて頂いた。
その中で長女の想いを聞いた。
それは「高校卒業したら、働いて、ちっちの面倒をみたい」という気持ちだった。
長女としてとてもシッカリしていて、17歳という年齢から考えつかないほど姉妹の事をキチンと考えていることには感心した。
今日まではお通夜や告別式などで親族もたくさん集まっていてまだ実感が大きく湧いていない部分もあると思う。
これからが精神的にも生活の面でも母を失ったという「重み」が来るのではないか?と感じる。
ボクの妻も幼少の頃、母を事故で失っている。
妻の話を聞く限り、やはり年頃の女の子として同姓である母を失ったということはとても筆舌に耐えがたい辛さもある。
でもそれでもこれからの新しい人生をスタートさせていかなければならない。
そんな彼女たちの「門出」を見たボクはずっと心の奥に目に焼き付けておきたい光景であった。
障害者にとって家族を失うことは本当に辛い。
ましてや自立をしていない状態で、自立を強いられることになってしまう。
そんな障害児の親として、今回の出来事で学ばせて頂いたことはやはり「健康」と「長生き」であった。
1日でも長く長生きしてやりたい。そして貧乏でもいいから健康で居られるようにしたい。
我が子を想いながら、そして我が子と重ねながら今回の出来事に関しては体験させて頂いた。
ミユヤマさん。本当にお疲れ様でした。
貴女の努力と想いは確実にお子様へ届いていました。
そしてボクに障害児の親としての生き方を改めて教えてくれた事に感謝いたします。
ありがとうございました。
そして一人でも多くの障害児を抱える親たちがこのブログを通して、健康と長生きに対してまた改めて考えて頂けることを希望します。
安らかにお眠りください。
合掌。