今まで書いて下書きに保存したまま公開していませんでした。
夜になるとフッと思い出して心が締め付けられるような思いになります。


先月、さいたまスーパーアリーナに行った時の事です。
震災の事は避けようと思っていたし、避難者のことでしたので割愛しましたが、その中でボクが見た光景。

年齢は真輝のちょっと上くらいの男の子とそのお母さんの2人。
お子さんが、手に風船の創作物を持っていました。
細長い風船で動物など作りますよね?あれです。
多分ボランティアの方が創って、それをプレゼントされたのだと思います。


ただその男の子がそのプレゼントされた風船で、怒鳴りながらお母さんを何度も何度も叩いていました。
お子さんが怒っていた内容は分かりませんが、創ってくれた創作物がいくつも壊れてしまうほど何度も何度もお母さんを叩いていたのです。
多分、お子さんは慣れない避難生活で相当のストレスが溜まっていたのでしょう。
しかし、その行動に対してそのお母さんは何も言わず、子どもに寄り添うようにして黙々と耐えていました。

その光景が今でも頭から離れません。

そのお子さんの感情、そしてお母さんの気持ち。

見ていて辛くなり、極力見ないようにしました。
しかし気になりまた見に行ったところ、今度はお父さんらしき人がお子さんをなだめていました。

すこし落ち着いていたお子さん。
こんな光景を見ていて自分の無力さを感じた。


そのことがずっと頭から離れません。
ただボクが見た光景なんて被災された方や避難されている方の万分の一にも満たない光景でしょう。

あの東日本大震災でたくさんの思い出が失われました。
たくさんの希望が失われました。
そしてたくさんの大切な人が失われたと思います。
失ったものは数知れず。


被災していない私たちは、その方々に対して「希望」という言葉を与えたい。
確かにそれは正しい行為ではあるが、本当にその方々のお気持ちを考え、その立場となった時に「頑張ろう」とか「希望」とかいう事はまだまだ早い気がしました。

確かに「希望」は大事です。
しかし、絶望の心が整理されていない中で、希望という言葉はまだまだ他人事であるのでは?と感じます。


震災から1ヶ月余り。

まだまだ絶望の心を引きずる方は多々いると思います。

まずはこの絶望が少しでも和らいで、希望が持てるようになることを少しでもお手伝いしたいと思っています。お手伝いすること位しか出来ないけど、自分なりに努力していきたいと感じました。