英会話が出来る過程 3 | ワーホリ社長の日記® 教育を通じて一人でも多くの人の人生を豊かにする。「イーミックス 東京・千葉」

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英語の成績はクラスで下から3番目。26歳まで英語が話せなかった。わずか1年間のカナダへのワーキングホリデーで英会話スクールが経営できる英語力に。現在千葉県の本八幡と東京の秋葉原にある人気英会話スクールなどを経営!イーミックスの代表取締役の日記です。


英会話がどのように出来るようになるかを

私の体験談を交えてお伝えしております。


詳しい話は1.2をご覧下さい。




私が英語がある程度できるようになったなあって

おもったのは2004年1月。カナダに行ってから7ヶ月目です。



それまでどうしてたかというと

カナダのバーノンというところに9月1日からいまして


最初の職場

日系企業 

日本語環境のため2週間で退社

(これはしょうがないですし、申し訳ないとおもってましたが一生に1回のことでしたのでご勘弁を)

ちなみに寿司イチバンというところで働いていました。


次にすぐフードコートの仕事にありつくことができました。

ここは韓国人がオーナーです。

日本人は私しかいませんので、英語環境です。

ただこの状態で仕事をするのは想像以上に大変でした。


ここはいろいろあって退社。やめたのがたしか10月末でしたので


ここからがかなり追い詰められました。



田舎町なので仕事があまりないのです。そもそも店がありません。

11月はひたすら履歴書を出して周り、現地の職安に行き

移民センターで仕事探しの講座をうけてと、もまれてました。

講座はもちろん英語ですが無料です。

全5回の講座をすべて受けました。



こういうことをやっているうちに徐々にではありますが、言っていることが聞き取れるようになり、だいぶコミュニケーションを取ることができるようになりました。

この時の1日の中での英語環境は12時間くらいです。



11月はまるまる仕事をしなかった気がします。

12月に突入

ギリシャ料理レストランで皿洗いの仕事を発見。移民センターから職を募集しているのを教えてもらっていってきました。

ギリシャ料理ですが、英語環境です。完全な英語です。



なんとか仕事にありついたのですが、前辞めた人が戻ってきたみたいで

オーナーからはその前やめた人に戻って欲しいからということで

レイオフを受けました。(雇用者都合による解雇)


何せ私はお金をもっていなかったので、この調子で行くと

来年の2月には帰らないと行けなくなりました。

幸い航空券はあったので戻ることは出来ます。


この追い詰められた状態。どうしたでしょうか?

続きは次回へ。





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