心配しすぎな日本人の果て | 夢追い人のブログ

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IT・経営コンサルタントを経て、㈱Dream-LINKを設立。
個人の夢が縦にも横にも繋がると、社会全体の価値を高められると信じて、誰もが、いくつになっても夢を持ち続けられるために活動しています。
夢ややりたいことを個人/法人両方の観点から捉えた記事を書いて参ります。

今、フランクフルトのとあるカフェにいるのですが、シナモンロールを頼んだらお皿が欠けていたんですね。欠けていると言っても円形のお皿の一部部分の裏っかわが少しだけです。でも、それを見てふと思ったんです。
これって、日本だったら・・・「こんな欠けたままのお皿をお客に出して!」とか、文句言うお客さん絶対いるじゃないですか?でも、ドイツだったら絶対そんなことにはならない。

ここで少し話は飛躍するのですが、例えばこれが裁判沙汰になったとして、「そりゃそうだ!欠けたお皿を出したお店が悪い!」となるとするじゃないですか?日本では。で、そうするとそれが判例となって残って、後の裁判でも、「あーあんとき有罪だったからなぁ、今回も店側が悪いっしょ」っていう判決の流れが出来上がっていきますよね??

そうすると、最初はなんてことないと社会的に考えられていたことでも、こうやって裁判の結果一つで流れが出来上がっていくものなんでしょうかね?

まずは、この点が疑問なのですが、よく日本人は「危ないこと」に対するケアは社会側がやるべきだ、と強く思っていると言われる中で、実際、裁判ではどうなんでしょうかね?

裁判の結果が以外と、「いや、注意しない本人の方が悪い」的な流れなんだとしたら、日本人のこの傾向の出何処が気になりますし、もし裁判の結果が上記の通りなら、いつ頃から、何をきっかけにこういう傾向が始まったのかなぁ、と。

すんごい細かい話で、どうでもいい話なんですが、なぜかすごく気になったので、投稿してみました。