万葉集から


旅の歌を作る



鳥じもの 海に浮きゐて 沖つ波

さわくを聞けば あまた悲しも


とりじもの うみにうきゐて おきつなみ

さわくをきけば あまたかなしも


鳥のように海に浮かぶ沖の波、騒ぐのを聞けばひどく悲しい


別の詠みをすれば


「とりじもの」は「取りし藻の」

「うみにうきゐて」は「海に浮き居て」

「おきつなみ」は「置きつ汝身」

「さわくをきけば」は「さ湧くを利けば」

「あまたかなしも」は「数多か為しも」


海に浮いて漂う「流れ藻」を詠んでいる



朝凪に 真揖漕ぎ出でて 見つつ来し

御津の松原 波越しに見ゆ


あさなぎに まかちこぎいでて みつつこし

みつのまつばら なみこしにみゆ


朝凪に揖を漕ぎ出て見ながら来た御津の松原は波の向うに見える


別の詠みをすれば


「あさなぎに」は「吾さ汝来に」

「まかちこぎいでて」は「負かじ漕ぎ出でて」

「みつつこし」は「身伝つ来し」

「みつのまつばら」は「身着の待つ原」

「なみこしにみゆ」は「汝身越しに見ゆ」


詠み手ともう一人が其々の舟で、漕ぎ出て、競争したのだな



漁する 海未通女らの 袖とほり

濡れにし衣 干せど乾かず


あさりする あまをとめらの そでとほり

ぬれにしころも ほせどかわかず


漁をする漁師の娘の袖まで濡れた衣は干しても乾かない


別の詠みをすれば


「あさりする」は「彼然り(去り)する」

「あまをとめらの」は「雨を止めらの」

「そでとほり」は「其で通り」

「ぬれにしころも」は「塗れ虹来ろも」

「ほせどかわかず」は「欲せどが湧かず」


虹が出て消えたのだ



網引する 海子とか見らむ 飽くの浦の

清き荒磯を 見に来しわれを


あびきする あまとかみらむ あくのうらの

きよきありそを みにこしわれを


網を引く漁師を見る、飽の浦の清い荒磯を見に来た私は


この歌は、柿本人麻呂の歌集に掲載されている


別の詠みをすれば


「あびきする」

「あまとかみらむ」

「あくのうらの」

「きよきありそを」

「みにこしわれを」


三句の「あくのうらの」を「上くの裏の」と解釈すれば、

歌の一番上の裏なら、二番目や三番目あたり


「□びきする」

「□まとかみらむ」

「□くのうらの」

「□よきありそを」

「□にこしわれを」


二列目は「ひまくよに」から「暇来余に」

三列目は、逆から「こきのとき」から「漕ぎの時」


暇だから舟を漕いで出た時に詠んだ歌なのだ


なお、三列目は「古希の時」とも詠める

ただ、「古希」は、中国の杜甫の曲江詩の中の言葉だから、柿本人麻呂の時代には、まだ詠まれていない

だから「古希の時」とは、詠めない



山越えて 遠津の浜の 石つつじ

わが来るまでに 含みてあり待て


やまこえて とほつのはまの いはつつじ

わがくるまでに ふふみてありまて


山越えて遠津の浜の石躑躅、私が来るまで蕾でいて


別の詠みをすれば


「やまこえて」は「弥間小枝出」

「とほつのはまの」は「十秀付の葉まの」

「いはつつじ」

「わがくるまでに」

「ふふみてありまて」


石躑躅は、小さな枝が密集していて、葉もきれい


歌の沓冠は「やといわふ、てのじにて」から

「弥処岩生、出の地にて」


石躑躅(いはつつじ)は、色んな処の岩場の地に生える



大海に 嵐な吹きそ 息長鳥

猪名の湊に 舟泊つるまで


おほうみに あらしなふきそ しながとり

ゐなのみなとに ふねはつるまで


大海に嵐は吹くな、息長鳥鳥の猪名の湊に舟を泊めるまで


別の詠みをすれば


「おほうみに」

「あらしなふきそ」

「しながとり」

「ゐなのみなとに」

「ふねはつるまで」


四句の「しながとり」を「為中取り」と解釈し、歌の中を取れば


「おほうみに」は「大海に」

「あ□□□ふきそ」は「彼吹きそ」

「し□□□り」は「知り」

「ゐ□□□なとに」は「去な疾」

「ふねはつるまで」は「舟はつるまで」


(嵐は消えるが)、風が吹くから、速く去れ、舟は、ばらばらに去るなるまで



舟泊てて かし振り立てて 廬せむ

名子江の浜辺 過ぎかてぬかも


ふねはてて かしふりたてて いほりせむ

なごえのはまべ すぎかてぬかも


舟を泊め杭を立てて繋ぎ、仮の宿にする、名子江の浜辺を過ぎることはできない


別の詠みをすれば


「ふねはてて」は「舟は出て」

「かしふりたてて」は「彼地振り立てて」

「いほりせむ」は「居掘りせむ」

「なごえのはまべ」は「魚子得の浜辺」

「すぎかてぬかも」は「過ぎかてぬかも」


歌の沓冠は「ふかいなすもへむてて」から

「深い居なすも辺む出て」


浜辺の砂の中に居て出てくるのだから「穴子」のことだろう



妹が門 出入の川の 瀬を早み

わが馬つまづく 家思ふらしも


いもがかど いでいりのかはの せをはやみ

わがまつまづく いへおもふらしも


君が家の門を出入りする川の瀬が早いので、私の馬が躓くと、家の人は思っているらしい


別の詠みをすれば


「いもがかど」

「いでいりのかはの」

「せをはやみ」

「わがまつまづく」

「いへおもふらしも」


五句の「いへおもふらしも」を「居辺緒も降らしも」と解釈し


「いもがかど」は「妹が才」

「い□□□のかはの」は「居退か葉の」

「せ□□□み」は「背見」

「わ□□□まづく」は「輪ま付く」

「いへおもふらしも」は「「居上」思ふらしも」


五句の「居上」は、歌の冠にあたるから

「いいせわい」から「言ひ世話い」


厄介だと言わせる、となる


君の和歌の才能は、この歌の解釈の様に、厄介だ



白栲に にほふ信土の 山川に

わが馬なづむ 家恋ふらしも


しろたへに にほふまつちの やまかはに

わがうまなづむ いへこふらしも


白妙の映える真土の山川に私の馬は泥む、家の人が恋しているらしい


別の詠みをすれば


「しろたへに」

「にほふまつちの」

「やまかはに」

「わがうまなづむ」

「いへこふらしも」


やはり、五句の「いへこふらしも」を「居辺恋ふらしも」と解釈し


「しろたへに」は「白絶へに」

「に□□□つちの」は「丹土の」

「や□□□に」は「屋に」

「わ□□□なづむ」は「我泥む」

「いへこふらしも」は「家恋ふらしも」


赤土の家が好きなのだ



ここから、妹の山と背の山の一連の歌


背の山に 直に向へる 妹の山

言許せやも 打橋渡す


せのやまに ただにむかへる いものやま

ことゆるせやも うちはしわたす


背の山に向かう妹の山、言葉を認めたのか、打橋を渡す


別の詠みをすれば


「せのやまに」

「ただにむかへる」

「いものやま」

「ことゆるせやも」

「うちはしわたす」


五句の「うちはしわたす」を「内葉し渡す」と解釈すれば


「□□□□□」

「□だにむかへ□」

「□ものや□」

「□とゆるせや□」

「□□□□□□□」


歌は「だにむかへ、ものや、とゆるせや」から「谷向かへ、ものやと許せや」


背の山と妹の山の二つのもの(物や者)が自由に往き来できる



さて、橋が渡ったから、その次は、


人ならば 母の最愛子そ あさもよし

紀の川の辺の 妹と背の山


ひとならば ははのまなこそ あさもよし

きのかはのへの いもとせのやま


人ならば母の最愛の子になれ、紀の川の傍の妹の山と背の山


別の詠みをすれば


「ひとならば」は「「人」ならば」

「ははのまなこそ」は「「母」の真名こそ」

「あさもよし」は「「朝」も良し」

「きのかはのへの」は「紀の川の上の」

「いもとせのやま」は「妹と背の弥間」


「人」と「母」の漢字(真名)から、「毎」となる

「朝」と組見合わせれば、毎朝

「妹」と「背」から「妹背」


紀の川に橋が渡されたので、その川の上で、毎朝会い、男女の関係になったのだ


「ひとならば」

「ははのまなこそ」

「あさもよし」

「きのかはのへの」

「いもとせのやま」


紀の川の上の橋は、川の上あたり、

だから、

その辺りの言葉を詠めば

「はなしのの、こへや、そのま」から

「話しのの声やその間」


川の上の橋での会話が尽きないのだ



吾妹子に わが恋ひ行けば 羨しくも

並び居るかも 妹と背の山


わぎもこに わがこひゆかば ともしくも

ならびをるかも いもとせのやま


君に私の恋が行くなら、羨ましく並ぶかも、妹と背の山


妹の山と背の山の二人の毎朝の逢瀬を詠んだ詠み手は、自分とその思っている君との関係も二人の様になれば良いのにと詠んでいる


この歌を単独で詠んでも、妹の山と背の山から「妹背の山」と、山を擬人化して、男女の関係になりたいという歌として詠める


四句と五句の「並び織るかも、妹と背の山」から「妹背のや間」となる



妹に恋ひ わが越え行けば 背の山の

妹に恋ひずて あるが羨しさ


いもにこひ わがこえゆけば せのやまの

いもにこひずて あるがともしさ


君に恋し越え行けば、背の山の君の恋が羨ましい


別の詠みをすれば


「いもにこひ」

「わがこえゆけば」

「せのやまの」

「いもにこひずて」

「あるがともしさ」


歌の沓冠は

「いひわばせのいてあさ」から

「言ひ、我は背の居て朝」


橋の二人を見ていて、その女性に好意を持ち始めたのではないか



妹があたり 今そわが行く 目のみだに

われに見えこそ 言問はずとも


いもがあたり いまそわがゆく めのみだに

われにみえこそ こととはずとも


君が辺りに今私が行く、目の中にだけでも私に見えて欲しい、言葉が届かなくても


別の詠みをすれば


「いもがあたり」

「いまそわがゆく」

「めのみだに」は「目のみ谷」

「われにみえこそ」は「割れに見えこそ」

「こととはずとも」は「言問はずとも」


谷の二人は、言葉を聞いていなくとも、別れた様に見えた

だから、今こそ、君の処へ私が行く


一連の妹背の山の歌は、これにて終わる

その恋の行方は、歌に詠まれていない



足代過ぎて 糸鹿の山の 桜花

散らずあらなむ 還り来るまで


あてすぎて いとかのやまの さくらはな

ちらずあらなむ かへりくるまで


足代を通り、糸鹿の山の桜花が散らずにいて欲しい、帰り来るまでは


別の詠みをすれば


「あてすぎて」

「いとかのやまの」

「さくらはな」

「ちらずあらなむ」

「かへりくるまで」


歌の冠は「あいさちか」から「会い幸か」と幸運だと思っている



名草山 言にしありけり わが恋ふる

千重の一重も 慰めなくに


なぐさやま ことにしありけり わがこふる

ちへのひとへも なぐさめなくに


名草山、言葉だけなのか、私が恋は、千に一つも慰めにならない


「名草山(なぐさやま)」は

「慰止ま(なぐさやま)」ではなくて

「無くさ止ま(なくさやま)」なのか



安太へ行く 小為手の山の 真木の葉も

久しく見ねば 苔生しにけり


あだへゆく をすてのやまの まきのはも

ひさしくみねば こけむしにけり


安太へ行く小為手の山の真木の葉も、久しく見ないでいたら、苔が生えていた


別の詠みをすれば


「あだへゆく」は「」

「をすてのやまの」は「」

「まきのはも」は「」

「ひさしくみねば」は「」

「こけむしにけり」は「」


二句を「尾捨ての山」と解釈すれば


「あだへゆ□」は「彼絶へゆ」

「をすての□□□」は「緒捨ての」

「まきのは□」は「真木の端」

「ひさしく□□□」は「久しく」

「こけむし□□□」は「苔生し」


「緒」は、長く続くこと


この真木は、枯れている


歌の沓冠は「あくをのまもひはこり」から

「悪緒の間も檜葉凝り」


「緒」は、細長いもので、虫


檜が害虫にやられた



玉津島は、風光明媚な和歌の浦の岬、もともとは、島だったが陸続きになった

島の処は、奠供山(てんぐやま)と呼ばれている

玉津島神社がある


玉津島 よく見ていませ あをによし

平城なる人の 待ち問はばいかに


たまつしま よくみていませ あをによし

ならなるひとの まちとはばいかに


玉津島をよく見ていて、美しい奈良の人が、待ち問いかけたなら如何にするか


別の詠みをすれば


「たまつしま」は「た先づ島」、最初は島だった

「よくみていませ」は「避く海で、今瀬」、海を避けて今は瀬

「あをによし」は「彼丘に良し」、丘に良し

「ならなるひとの」は「平ら成る傍処の」、平な処の傍

「まちとはばいかに」は「ま路、問はば、如何に」


「を(緒)」には、丘の意味がある


歌は、玉津島がもともと島で、今は、陸続きの丘になっていることを詠んでいる


玉津島への路を聞かれたら、どう答えるか



潮満たば いかにせむとか 方便海の

神が手わたる 海未通女ども


しほみたば いかにせむとか わたつみの

かみがてわたる あまをとめども


潮が満ちれば、どうするか、綿津見の神が手を渡す、漁師の娘たち


別の詠みをすれば


「しほみたば」

「いかにせむとか」

「わたつみの」

「かみがてわたる」

「あまをとめども」


玉津島は、陸続きとは言え、潮が満ちれば、島になるのだろう


歌を玉津島に見立てれば、島の部分は

「とか、たる、ども」から

「門が垂るとも」となるから

出入り口が潮で濡れる


だから、「かみがてわたる」と、神が示す、上の部分(高めの処)が渡れるのだ


それを歌にするならば、



玉津島 見てし善けくも われは無し

都に行きて 恋ひまく思へば


たまつしま みてよけくも われはなし

みやこにゆきて こひまくおもへば


玉津島を見ない方が良かったて、都に戻り恋しく思うだろうから


別の詠みをすれば


「たまつしま」は「玉津島」

「みてよけくも」は「見て避けくも」

「われはなし」は「割れは無し」

「みやこにゆきて」は「見や処に行きて」

「こひまくおもへば」は「此傍設く思へば」


前もって道がわかっているから、よく見ながら行けば、割れている部分は無い



黒牛の海 紅にほふ ももしきの

大宮人し 漁すらしも


くろうしのみ くれなゐにほふ ももしきの

おほみやひとし あさりすらしも


黒牛の海は紅に映え、百敷きの宮人が漁をする


別の詠みをすれば


「くろうしのみ」は「来ろ失しの身」

「くれなゐにほふ」は「来れなゐに法」

「ももしきの」は「百し儀の」

「おほみやひとし」は「大宮人し」

「あさりすらしも」は「彼然りずらしも」


地震(なゐ)で、宮廷の行事は延期になった


和歌の浦に 白波立ちて 沖つ風

寒き暮は 倭し思はゆ


わかのうらに しらなみたちて おきつかぜ

さむきゆふべは やまとしおもはゆ


和歌の浦に白波が立ち、沖の風が寒い夕べは、倭が思われる


別の詠みをすれば


「わかのうらに」は「和歌の浦に」

「しらなみたちて」は「白波立ちて」

「おきつかぜ」は「興つ風」

「さむきゆふべは」は「さ剥き夕べは」

「やまとしおもはゆ」は「や間疾し思はゆ」


突風が吹いた


さらに、歌の下の部分はを詠めば

「うらに、みたちて、かぜ、ゆふべは、しおもはゆ」から

「浦に海立ちて、風、夕べは、死、思はゆ」


高潮と強風で、死を意識した


妹がため 玉を拾ふと 紀の国の

由良のみ崎に この日暮しつ


いもがため たまをひりふと きのくにの

ゆらのみさきに このひくらしつ


君のために玉を拾おうと紀の国の由良の岬に、今日過ごす


別の詠みをすれば


「いもがため」は「居もか溜め」

「たまをひりふと」は「玉を放りふと」

「きのくにの」は「来退くにの」

「ゆらのみさきに」は「揺らの身前に」

「このひくらしつ」は「この蜩付」


蝉の蜩が飛ぶ時に、おしっこをすることを、詠んでいる



わが舟の 揖はな引きそ 倭より

恋ひ来し心 いまだ飽かなくに


わがふねの かぢはなひきそ やまとより

こひこしこころ いまだあかなくに


私の舟の揖を引くな、倭から恋して来た心は未だに満足していない


別の詠みをすれば


「わがふねの」は「わが舟の」

「かぢはなひきそ」は「加持はな引きそ」

「やまとより」は「山処より」

「こひこしこころ」は「来ひ越し此処ろ」

「いまだあかなくに」は「未だ開かなくに」


山下りの急流に安全を祈る



玉津島 見れども飽かず いかにして

包み持ち行かむ 見ぬ人のため


たまつしま みれどもあかず いかにして

つつみもちゆかむ みぬひとのため


玉津島を見飽きない、如何にして包んで持ち帰ろうか、見ていない人のために


別の詠みをすれば


「たまつしま」は「玉付し間」

「みれどもあかず」は「見れども明かず」

「いかにして」は「烏賊にして」

「つつみもちゆかむ」は「包み持ち行かむ」

「みぬひとのため」は「見ぬ人のため」


この「玉」は、烏賊の墨袋(墨汁嚢)のこと


烏賊は墨を放って姿をくらます



紀の国の 雑賀の浦に 出で見れば
海人の燈火 波の間ゆ見ゆ

きのくにの さひがのうらに いでみれば
あまのともしび なみのまゆみゆ

紀の国の雑賀の浦に出て見れば、漁師の漁火が波間に見える

別の詠みをすれば

「きのくにの」
「さひがのうらに」
「いでみれば」
「あまのともしび」は「天の燈火」
「なみのまゆみゆ」は「汝身の真弓ゆ」

「三日月」を見たのだな


麻衣 着ればなつかし 紀の国の
妹背の山に 麻蒔く吾妹

あさころも きればなつかし きのくにの
いもせのやまに あさまくわぎも

麻衣を着れば懐かしい紀の国の妹背の山に麻を巻く君

別の詠みをすれば

「あさころも」は「朝頃も」
「きればなつかし」は「着れば懐かし」
「きのくにの」は「木の国の」
「いもせのやまに」は「い裳為の山に」
「あさまくわぎも」は「彼さ巻く脇裳」


歌の沓冠は「あききいあ、もしのにも」から
「秋来居、あ、若し、野にも」

山が紅葉しはじめた