万葉集から


中臣女郎が大伴宿禰家持ひ贈る歌、五首



一首


をみなへし 佐紀沢に生ふる 花かつみ

かつても知らぬ 恋もするかも


をみなへし さきさはにおふる はなかつみ

かつてもしらぬ こひもするかも


女郎花の咲く佐紀沢に生える花かつみ、今まで知ることの無い恋をするかも


別の詠みをすれば


「をみなへし」は「御実無へし」

「さきさはにおふる」は「割き些葉に生ふる」

「はなかつみ」は「葉中つ身」

「かつてもしらぬ」は「勝手も知らぬ」

「こひもするかも」は「濃緋もするかも」


実ではないが実に似ているもの

葉の先は裂けている

葉の中に実があるように見える

実のようなものは濃い緋色をしている


これに該当するのは、柊


柊は、葉虫に、食害されることがある

その葉虫は、てんとう虫に似ていて葉に付く

色は、濃赤色をしている


だから、これは、葉虫に食害された柊を詠んでいる



二首


海の底を 奥を深めて わが思へる 

君には逢はむ 年は経ぬとも


わたのそこ おきをふかめて わがおもへる

きみにはあはむ としはへぬとも


海の底のような心の奥底な思いを深め君に逢う、何年かかっても


別の詠みをすれば


「わたのそこ」は「我他の其子」、親と似ていない子

「おきをふかめて」は「お奇を深めて」、変わっている

「わがおもへる」は「我が尾も減る」、尾は短くなる

「きみにはあはむ」は「君庭合はむ」、陸は合わない

「としはへぬとも」は「疾し這へぬとも」


親に似ていない

珍しい

尾は短くなる

陸は似合わない

這う素早く


この歌は、お玉杓子を詠んでいる



三首


春日山 朝ゐる雲の おほほしく

知らぬ人にも 恋ふるものかも


かすがやま あさゐるくもの おほほしく

しらぬひとにも こふるものかも


春日山の朝にいる雲がはっきりとしないように、知らない人に一目惚れするのかも


別の詠みをすれば


「かすがやま」は「幽かや間」

「あさゐるくもの」は「彼さ居る来もの」

「おほほしく」は「小火火敷く」

「しらぬひとにも」は「不知火とにも」

「こふるものかも」は「此降るものかも」


これは、不知火という蜃気楼の一種


四首


直に逢ひて 見てばのみこそ たまきはる

命に向ふ わが恋止まめ


ただにあひて みてばのみこそ たまきはる

いのちにむかふ わがこひやまめ


直接逢い見て、魂の極まる命に向かい私の恋は止まない


別の詠みをすれば


「ただにあひて」は「直に合ひ出」

「みてばのみこそ」は「見てはのみこそ」

「たまきはる」は「た巻きはる」

「いのちにむかふ」は「居後に向かふ」

「わがこひやまめ」は「我が乞ひ止まめ」


鳴門の渦潮のこと



五首


否と言はば 強ひめやわが背 菅の根の

思ひ乱れて 恋ひつつもあらむ


いなといはば しひめやわがせ すがのねの

おもひみだれて こひつつもあらむ


嫌と言うなら無理強いはしないよ君、菅の根のように思い乱れて恋続ける


別の詠みをすれば


「いなといはば」は「い名問い葉葉」

「しひめやわがせ」は「其秘めや和歌為」

「すがのねの」は「為彼の根の」

「おもひみだれて」は「思ひ乱れて」

「こひつつもあらむ」は「乞ひ伝つも有らむ」


四つの謎掛歌の答えは、


柊の葉の虫「はのむし」

お玉杓子(蛙の子)「かはづこ」

蜃気楼の不知火「しらぬひ」

鳴門の渦潮「うづしほ」


「はのむし、かはづこ、しらぬひ、うづしほ」

から

「葉の虫が恥づ、此知らぬ非映し穂」


「穂」は「緒」と同じに、細長いものだから、歌の比喩


歌の虫が分からないと恥だ


家持は、答えられたのだろうか



大伴宿禰家持が交遊と別れる歌、三首



一首


けだしくも 人の中言 聞かせかも

ここだく待てど 君の来まさぬ


けだしくも ひとのなかごと きかせかも

ここだくまてど きみのきませぬ


きっと人の中傷を聞いたのか、こんなにも待っているのに君はこない


別の詠みをすれば


「けだしくも」

「ひとのなかごと」

「きかせかも」

「ここだくまてど」

「きみのきませぬ」


掛詞で詠めば


「気出し句も」と、様子を詠んだ歌も

「ひとの中言」と、秀処の中の言葉

「利かせかも」と、上手だが

「幾許迄と」と、こんなににも多いがこれ迄と

「君退きませぬ」と、終わりになった


中臣郎女からの一連の歌が終ったことを言っているのだろう


また、別の詠みをすれば


歌の沓冠は「けもひときもこときぬ」から「「け」も「ひ」と、「き」も「こ」と、来ぬ」と解釈

歌の中の「け」を「ひ」に、「き」を「こ」に変えれば


「ひだしくも」

「ひとのなかごと」

「こかせかも」

「ここだくまてど」

「こみのこませぬ」


となるが、またさらに、この

歌の沓冠は「ひもひとこもことこぬ」から

「「ひ」も「ひと」、「こ」も「こと」、来ぬ」と解釈

歌は


「ひとだしくも」

「ひととのなかことと」

「ことかせかも」

「ことことだくまてど」

「ことみのことませぬ」


となる

これは


「人出し句も」、人が出した歌は

「人音の中事と」、人の声の中の事

「言か為かも」、言葉がすることは

「言言た来迄と」、言葉と言葉が来る迄と

「言蓑言ま為ぬ」、言葉の蓑を着た言葉とする


つまり、言葉に二重、三重の意味を持たせることは、人がすること


家持は、個々の歌のことには触れずに、歌を詠む時の基本を歌にした


またさらに、別の詠みをすれば


「けだしくも」は「消た「しくも」」で、「しくも」を消し「けた」

「ひとのなかごと」は「人の無か「ごと」」て、「ごと」を無くすから「ひとのなか」

「きかせかも」は「「きが」塞かも」で、「きか」が塞がれるので「せかも」

「ここだくまてど」は「「ここだく」待てと」で、「ここだく」を待っているのだか、「ここだく」は来ていないから「まてと」

「きみのきませぬ」は「「きみの」来ませぬ」で、「きみの」が来ないから「きませぬ」


繋げれば

「けた、ひとのなか、せかも、まてと、きませぬ」

から

「故、他人の中為かも、迄と来ませぬ」

となる


むしろ、君の中で考えることが、これ迄で終りなのか、と揶揄しているのだろう



二首


なかなかに 絶ゆとし言はば かくばかり

気の緒にして 吾恋ひめやも


なかなかに たゆとしいはば かくばかり

いきのをにして わがこひめやも


むしろ絶交すると言うならに、これほどに命を掛けた恋をしない


別の詠みをすれば


「なかなかに」は「中中に」

「たゆとしいはば」は「揺としい葉葉」

「かくばかり」は「隠葉借り」

「いきのをにして」は「異義の緒にして」

「わがこひめやも」は「和歌処秘めやも」


また、さらに、別の言い方で、和歌の二重の言葉を隠すことを詠んでいる


また、別の詠みをすれば


一句の「なかなかに」だから、句の中の文字を詠めば、

「なしはをひ」だから

「為し葉を秘」か

「無し葉を非」か


「為し葉を秘」なら、言葉を秘めること

「無し葉を非」なら、無い言葉は使えない


新しい言葉を探すか、生み出さなければ、新しい歌を詠むのは難しい


また、歌の沓冠を詠めば

「なにたはかりいてわも」から

「何他葉借りいて和も」となる


和歌を詠むとは、言葉を借りること



三首


思ふらむ 人にあらなくに ねもころに

情尽して 恋ふるわれかも


おもふらむ ひとにあらなくに ねもころに

こころつくして こふるわれかも


私を思ってくれる人ではないのに懇ろに心を尽して恋する私


別の詠みをすれば


「おもふらむ」は「緒も降らむ」

「ひとにあらなくに」は「一に有らなくに」

「ねもころに」は「根も期ろに」

「こころつくして」は「心付くして」

「こふるわれかも」は「恋ふる我かも」


詠み方も一つではないが、限度があり、心あるものを恋する私だ



技法に走るよりも、気持を込めた歌であることを目指している