万葉集から


京職藤原大夫(藤原麿)が大伴坂上郎女に贈る歌、三首



一首


をとめ等が 珠匣なる 玉櫛の

神さびけむも 妹に逢はずあれば


をとめらが たまくしげなる たまぐしの

かむさびけむも いもにあはずあれば 


少女らが美しい箱に仕舞っている美しい櫛が古めかしくなった、君に逢わないでいたら


別の詠みをすれば


「をとめらが」は「少女らが」

「たまくしげなる」は「霊奇しげなる」と、霊が降りてきたような

「たまぐしの」は「玉串の」と、神に捧げるために木綿を付けた榊を

「かむさびけむも」は「神さびけむも」と、神々しく振る舞い

「いもにあはずあれば」は、「斎喪に合はず有れば」と、災いに遭わないように


神への奉納を詠んでいる

君に会えるようにとの願いなのだろう



二首


よく渡る 人は年にも ありとふを

何時の間にそも わが恋ひにける


よくわたる ひとはとしにも ありとふを

いつのまにそも わがこひにける


頻繁に渡る人は実りあるかと聞く、いつの間にか私も恋をした


「年(とし)」を実りと解釈


別の詠みをすれば


「よくわたる」は「よく渡る」

「ひとはとしにも」は「火とはと為にも」

「ありとふを」は「有り飛ぶを」

「いつのまにそも」は「出づの間にそも」

「わがこひにける」は「わが小火逃げる」


この歌は、蛍を詠んでいる

君を蛍に喩えているのだが、少しもどかしさがあるようだ



三首


蒸衾 柔やが下に 臥せれども

妹とし寝ねば 肌し寒しも


むしぶすま なごやがしたに ふせれども

いもとしねねば はだしさむしも


暖かく柔らかい寝具に静かに伏せるけれど、君がいなければ肌寒い


別の詠みをすれば


「むしぶすま」は「虫伏すま」

「なごやがしたに」は「汝、小屋が下に」

「ふせれども」は「伏せれども」

「いもとしねねば」は「居も年寝ねば」

「はだしさむしも」は「裸足寒しも」


伏したままの虫

家を背負う

伏して寝たまま

裸足でいる


この歌は、蝸牛を詠んでいる

いっこうに進展がないことの苛立ちだろうか



大伴郎女が和えた歌、四首



一首


佐保河の 小石ふみ渡り ぬばたまの

黒馬の来る夜は 年にもあらぬか


さほかはの こいしふみわたり ぬばたまの

くろまのくるよは としにもあらぬか


佐保河の小石を踏み渡り、烏羽玉の黒馬の来る夜は実りあるか


別の詠みをすれば


「さほかはの」は「小火彼羽の」

「こいしふみわたり」は「子居し伏み渡り」

「ぬばたまの」は「烏羽玉の」

「くろまのくるよは」は「黒間の来る夜は」

「としにもあらぬか」は「年にもあらぬか」


この歌は、蛍を詠んでいる


藤原麿とは違う詠みを提示した

私ならこう詠む、とでも言いたげだが、同じ蛍を詠んだ

闇夜に光が見えたのだろうか



二首


千鳥鳴く 佐保の河瀬の さざれ波

止む時も無し わが恋ふらくは


ちどりなく さほのかはせの さざれなみ

やむときもなし わがこふらくは


千鳥が鳴く佐保の川瀬のさざれ波の止む時はない、私の恋も


別の詠みをすれば


「ちどりなく」は「乳鳥鳴く」

「さほのかはせの」は「小穂の彼羽背の」

「さざれなみ」は「細れな身」

「やむときもなし」は「止む時も無し」

「わがこふらくは」は「我が恋ふらくは」


雛が餌が欲しくて鳴いているような、私の恋ということになる


また、別の詠みをすれば

「ちどりなく」は「「ちどり」無く」

「さほのかはせの」は「「さほ」退か葉為の」

「さざれなみ」は「さ去れ「なみ」」

「やむときもなし」は「「やむとき」も無し」

「わがこふらくは」は「我が恋ふらくは」


つまり、
「ちどり、さほ、なみ、やむとき」が無くなり
「なく、のかはせの、さされ、もなし」が残る

無くなるのは
「千鳥、小穂な身、止む時」
残るのは
「凪ぐの河瀬の細れ喪無し」
と、
我が恋ふらくに何の支障もない

事情が変わったようだ
恋が進展しそうな予感もある


三首


来むといふも 来ぬ時あるを 来じといふを

来むとは待たじ 来じといふものを


こむといふも こぬときあるを こじといふを

こむとはまたじ こじといふものを


来ると言うも、

来ない時もあるのを、

来ないと言うのを、

来るだろうとは待たない、

来れないと言うのだから


別の詠みをすれば


「こむといふも」は「籠むと言ふも」と、籠もると言うも

「こぬときあるを」は「入ぬ時あるを」と、入らない時があるのを

「こじといふを」は「期しと言ふを」と、心に決めると言う男

「こむとはまたじ」は「来むとは待たじ」と、来るとは待たない

「こじといふものを」は「居士といふものを」と、居士(出家せずに仏門に入る男子)と言う者を


居士と言う者を詠んでいる


来ると言いながら来ないのは、居士と同じに中途半端な存在

居士は、藤原麿への当て付けか

この歌からは、大伴郎女の方が積極的なように思える



四首


千鳥鳴く 佐保の河門の 瀬を広み

打橋渡す 汝が来とおもへば


ちどりなく さほのかはとの せをひろみ

うちはしわたす ながくとおもへば


「汝が来」と「長く」の掛詞


千鳥が鳴く佐保の川の出入り口の瀬は広く、板を渡す橋は、君が来るには長いと思えば


大伴郎女の父親は、大伴安麿で、佐保大納言卿と呼ばれていた

だから、佐保は、大伴一族のこと

藤原麿に、大伴の家にくるのは、長い道のりが必要だと言っている


別の詠みをすれば


「ちどりなく」は「千取り無く」

「さほのかはとの」は「さ穂の彼葉門の」

「せをひろみ」は「背を拾見」

「うちはしわたす」は「内葉為渡す」

「ながくとおもへば」は「中欠くと思へば」


句の出入り口の背だから、二文字目


「□ど□□□」

「□ほ□□□□□」

「□を□□□」

「□ち□□□□□」

「□が□□□□□□」


この「とほをちか」と読める

「遠彼方か」と解釈すれば、遠く遠くの彼方、となる


「汝が来」よりは「長く」の意味の方が歌の本当の意味なのだ

ここまでが長い道のりだったのだろうが、でも、橋は渡されたのだ



また、大伴坂上郎女(大伴郎女のこと)の歌


この歌の前に、大伴郎女は、佐保大納言卿(大伴安麿)の娘であり、初めに、一品穂積皇子に嫁いだが、皇子が死んだ後に藤原麿がが求婚した、大伴郎女は、坂上の里に住んでいたので、大伴坂上郎女と呼ばれた


佐保河の 岸のつかさの 柴な刈りそね

在りつつも 春し来らば 立ち隠るがね


さほかはの きしのつかさの しばなかりそね

ありつつも はるしきたらし たちかくるがね


佐保河の岸の高い柴を刈るな、柴があれば、春が来たら立って隠れられる


別の詠みをすれば


「さほかはの」は「荒ぼ皮の」

「きしのつかさの」は「来しの付瘡」

「しばなかりそね」は「しば無かりそね」と、無い

「ありつつも」は「ありつつも」と、あり続けるものは

「はるしきたらし」は「張るし来たらし」と、張り来る

「たちかくるがね」は「経ち隠くるかね」と、隠れ経つ


この歌は、子を身籠ったことを詠んでいる