万葉集の歌から


高市連黒人の旅の歌、八首


その前に、高市連黒人には、持統の行幸に従って三河へ旅した時の歌がある

ここに再掲する


何処にか 船泊てすらむ 安礼の崎

漕ぎ廻み行きし 棚無し小舟


いづくにか ふなはてすらむ あれのさき

こぎたみゆきし たななしこふね


何処に船が泊まっているのか、安礼の崎を漕ぎ廻り行く棚無し小舟


別の詠みをすれば


「いづくにか」は、「何処にか」

「ふなはてすらむ」は、「舟果て為らむ」

「あれのさき」は、「荒れの先」

「こぎたみゆきし」は、「扱き矯みゆきし」

「たななしこふね」は、「舵な無し小舟」


この歌は、舟が荒波に遭難し、舵を失い、舟は撓み、何処に行くのか漂う状態であることを詠んでいる


また、別の詠みをすれば


「いづくにか」は、「斎憑くにか」

「ふなはてすらむ」は、「伏汝、泊てすらむ」

「あれのさき」は、「吾礼の幸」

「こぎたみゆきし」は、「国忌た御幸し」

「たななしこふね」は、「た汝為し請ふね」


持統が三河での国忌の祭祀に出席するために行幸したもののようだ


壬申の乱の時には、美濃、伊勢、伊賀など諸国が天武に味方した

この時に東海道と東山道の兵も動員できたらしいから、三河は、持統の強い協力者だ

その地に行幸することは、壬申の乱の時の恩義があるからでもあろう


そうならば

「小舟」は、壬申の乱の時に、まだ、先がどうなるか、勝つとも負けるとも分からなかったことを暗示しているのかもしれない



高市連黒人の旅の八首の歌との比較


この歌は、高市連黒人の八首の歌の句と、全く同じか、似たものがある


「何処にか」は、六首目の一句と同じ

「船泊てすらむ」は、五首目の三句の「漕ぎ泊てむ」と「泊つ」ことでは同じ

「安礼の崎」は、四首目の一句の「磯の崎」と「崎」を詠むことでは同じ

「漕ぎ廻み行きし」は、四首目の二句の「漕ぎ廻み行けば」と殆ど同じ

「棚無し小舟」は、三首目の五句と同じ


歌の類似が多い

旅先も三河で同じ


高市連黒人の旅の八首の歌も、これだけの類似があるなら、持統の行幸の時の他の歌と考えることもできる



一首目


旅にして 物恋しきに 山下の

赤のそほ船 沖へ漕ぐ見ゆ


たびにして ものこひしきに やましたの

あけのそほふね おきへこぐみゆ


旅先でなんとなく恋しい山の麓の赤色の船が沖へ漕いでゆくのを見る


「そほ(朱)」は、赤色の土、赤色


別の詠みをすれば


「たびにして」は「旅に幣」と、旅の安全を祈り幣を

「ものこひしきに」は「物請ひしきに」と、旅の門出の贈り物をもらったが

「やましたの」は「疾したの」と、満足できないで

「あけのそほふね」は「上げ載そ法根」と、祈祷を上げ

「おきへこぐみゆ」は「御帰依、御供、見ゆ」と、神の教えと供え物を見た


「疾し」は、「心疾し」で、満足できない


旅の安全を祈願をしたのだ

また、別の詠みをすれば

「たびにして」は「「たび」にして」だから、「たび」

「ものこひしきに」は「「もの」請ひしきに」だから「もの」

「やましたの」は「「やま」下の」と「やま」の下の「ま」

「あけのそほふね」は「あ消の「そほふね」」と「そほふね」を消すから「あけの」

「おきへこぐみゆ」は「尾消へ五汲みゆ」だから、五句の七文字の尾の二文字を消し「おきへこぐ」


これらの言葉を繋げれば

「たび、もの、ま、あけの、おきへこぐ」から
「旅者、今、明けの沖へ漕ぐ」となる

明け方に船で、出発したのだ


またまた、別の詠みをすれば


「たびにして」は「旅にして」だから、「旅(たび)」

「ものこひしきに」は「物請ひしきに」だから「物(もの)」

「やましたの」は「山下の」だから、「麓(ふもと)」

「あけのそほふね」は「明けの朱船」だから「赤」

「おきへこぐみゆ」は「緒消へ五句見ゆ」だから、五句を無くす


これらを繋げれば、

「たび、もの、ふもと、あか」から

「旅者、府許、明か」と、

役所を不在にしとの旅なのだろう



二首目


桜田へ 鶴鳴き渡る 年魚市潟

潮干にけらし 鶴鳴き渡る


さくらだへ たづなきわたる あゆちがた

しほひにけらし たづなきわたる


桜田へ鶴が鳴き渡ってゆく、年魚市潟の潮が引いていて鶴が鳴き渡ってゆく


別の詠みをすれば


「さくらだへ」は「さ鞍給へ」と、鞍を頂き

「たづなきわたる」は「手綱騎渡る」と、馬で渡る

「あゆちがた」は「落ゆち形」と、落ちた姿

「しほひにけらし」は「潮干にけらし」

「たづなきわたる」は「た繋ぎ渡る」と、馬を繋いで渡る


鞍をもらったから馬に乗って渡っていたが、落ちたので、干潟を馬を繋いで渡ったのだ

鞍を支給されるくらいなのだから、やはり、持統の行幸に従ったもののようだ


三首目


四極山 うち越え見れば 笠縫の

島漕ぎかくる 棚無し小舟


しはつやま うちこえみれば かさぬひの

しまこぎかくる たななしこぶね


四極山を越えて見れば笠縫の島に漕ぎ隠れた棚無し小舟


「四極山」は、「之波止」と訓じられる山

「棚無し小舟」は、棚の無いほど小さな舟


別の詠みをすれば


「しはつやま」は「為果つ山」と、山越えを成し終え

「うちこえみれば」は「打ち込え見れば」と、熱心に見入れば

「かさぬひの」は「重ぬ氷の」と、繰り返す雹や霙

「しまこぎかくる」は「風巻こき隠る」と、風が強いので隠れた

「たななしこぶね」は「たな無し小舟」と、小舟がいなくなる


「しまく」は、「風巻く」なら、風が激しく吹くこと、「繞く」なら、取り囲むこと


山を越えたら、悪天候、雹や霙が降り、風が強いので、小舟は隠れ見えなくなった



四首目


磯の崎 漕ぎ廻み行けば 近江の海

八十の湊に 鵠多に鳴く


いそのさき こぎたみゆけば あふみのうみ

やそのみなとに たづさはになく


磯の崎を漕ぎ廻り行けば、近江の海の幾つもの湊に鶴が鳴く


別の詠みをすれば


「いそのさき」は「いその先」と、旅の先に

「こぎたみゆけば」は「国忌、民行けば」と、国忌に民が行けば

「あふみのうみ」は「会ふ見の倦み」と、会うのに飽きる

「やそのみなとに」は「八十の皆とに」と、数多い皆とに

「たづさはになく」は「携はに無く」と、連れ添うのはできない


国忌の仏事の行事は、大変な人出なのだ



五首目


わが船は 比良の湊に 漕ぎ泊てむ

沖へな離り さ夜更けにけり


わがふねは ひらのみなとに こぎはてむ

おきへなさかり さよふけにけり


私が乗る船は比良の湊に泊まった、沖へは行かず、夜も更ける


別の詠みをすれば


「わがふねは」は「我交ふ音は」

「ひらのみなとに」は「平の皆とに」

「こぎはてむ」は「国忌、果てむ」と、国忌の行事の終わりには

「おきへなさかり」は「御帰依の盛り」と、神仏への祈り

「さよふけにけり」は「小夜更けにけり」


皆とともに、国忌の行事をして盛り上がったようだ



六首目


何処にか われは宿らむ 高島の

勝野の原に この日暮れなむ


いづくにか われはやどらむ たかしまの

かちののはらに このひくれなむ


何処に宿を取ろうか、高島の勝野の原に日が暮れる


別の詠みをすれば


「いづくにか」は「射づくにか」

「われはやどらむ」は「我は矢取らむ」

「たかしまの」は「高し今の」

「かちののはらに」は「勝ち箆の腹に」と、勝つ腹で

「このひくれなむ」は「此箆引くれなむ」


「箆(の)」は、竹の矢


矢を射る競争があったようだ


また、別の詠みをすれば


「いづくにか」は「出つ「く」にか」

「われはやどらむ」は「我は「や」取らむ」

「たかしまの」は「長か「しま」の」

「かちののはらに」は「彼字の「の」払らに」と、勝つ腹で

「このひくれなむ」は「此の「ひ」呉れなむ」


繋げれば、「く、や、しま、の、ひ」から

「悔しまの日」となるから、悔しい結果になったのではないか



七首目


妹もわれも 一つなれかも 三河なる

二見の道ゆ 別れかねつる


いももわれも ひとつなれかも みかはなる

ふたみのみちゆ わかれかねつる


君も私も一つだからか三河の二見の道を別れるのが辛い


この歌には、「一」、「二」、「三」それに「千(ち)」「百(もも)」もある


別の詠みをすれば


「いももわれも」は「い百われも」

「ひとつなれかも」は「一付なれかも」

「みかはなる」は「三かはなる」

「ふたみのみちゆ」は「二みのみちゆ」

「わかれかねつる」は「わかれかねつる」


三つの矢のうち、二つが当たるが一つを外して終った

やはり、悔しい日となった


また、別の詠みをすれば


「いももわれも」は「い百割も」と、百が割れる

「ひとつなれかも」は「一つ成れかも」と、また一つになるのだから、「百」

「みかはなる」は「三か放る」と、三を放つから、「九十七」

「ふたみのみちゆ」は「二みの満ちゆ」だから、二を足して、「九十九」

「わかれかねつる」は「別れ兼ねつる」と、そのままだから「九十九」


「九十九」は、「つくも」か「くじゅうく」

「つくも」なら「つくも髪」、または「付喪神」のこと、

「つくも髪」なら年寄

「付喪神」なら、長く使った道具に宿った霊のこと

矢を一つ外したので、年には勝てないか

「くじゅうく」も「苦重苦」なのだから



七首目の歌の別の形の歌


三河の 二見の道ゆ 別れなば

わが背もわれも 独りかも行かむ


みかはの ふたみのみちゆ わかれなば

わがせもわれも ひとりかもゆかむ


三河の二見の道で別れたら、君も一人で行く


別の詠みをすれば


「みかはの」は「三か羽の」

「ふたみのみちゆ」は「二身の満ちゆ」

「わかれなば」は「別れなは」

「わがせもわれも」は「我微せも割れも」

「ひとりかもゆかむ」は「一りかも歪む」


やはり、一つ外した



八首目


とく来ても 見てましものを 山城の

高の槻群 散りにけるかも


とくきても みてましものを やましろの

たかのつきむら ちりにけるかも


もっと早く来て見ればよかった、山城の高の槻群の木は散ってしまているかも


別の詠みをすれば


「とくきても」は「解くきても」

「みてましものを」は「見てましものを」

「やましろの」は「矢ま代の」

「たかのつきむら」は「高の突き群」

「ちりにけるかも」は「散りにけるかも」


矢は、ばらばらに当っていた


高市連黒人は、もっと出来ると思っていたが、刺さった二本もばらばらだったので、心が折れた


また、別の詠みをすれば


「とくきても」は「解くきても」

「みてましものを」は「見て増しものを」

「やましろの」は「山代の」

「たかのつきむら」は「高の突き群」

「ちりにけるかも」は「散りにけるかも」


句の高い処だから、歌の冠を見れば、

「とみやたち」となるから

「富矢断ち」となる


賞金が掛かった、弓争い、競べ矢に参加することを断念したのだ



八首の歌は、尾張、三河、近江、山城と、多くの国々を巡ったように思われるが、

持統の三河の行幸に同行して、国忌に参加したり、矢を射る競技に参加したりして詠んだ一連の歌と解釈するのが良い