万葉集の歌から


この歌の背景について、万葉集には、説明が書かれている


大伴田主は、呼び名を、仲郎と言った

容姿端麗、洗練された感覚の持ち主で、皆が感心した

石川郎女は、恋心を抱くが、なかなか機会に恵まれなかった

そこで、一計を案じ、賤しい老婆の姿をして、鍋を持ち、大伴田主の寝所に近づき、口籠りながら、足もとをふらつかせ、戸を叩き、「東隣りの貧しい女ですが、火をお借りに来ました」と傳えた

田主は、暗闇の中、火を与え、帰らせた

翌朝に、石川郎女が大伴田主に歌を贈った



石川女郎から大伴宿禰田主へ


遊士と われは聞けるを 屋戸貸さず

われを還せり おその風流士


みやびをと われはきけるを やどかさず

われをかへせり おそのみやびを


風流な人と聞いていたのに、家にも入れず帰してしまうがっかりな風流な人


別の詠みをすれば


「みやびをと」は、「雅男と」と、雅な男と

「われはきけるを」は、「我は聞けるを」

「やどかさず」は、「や咎さす」と、欠点のある

「われをかへせり」は、「我を帰へせり」

「おそのみやびを」は、「鈍の雅男」と、鈍い雅な男


欠点のある鈍感な男ね



大伴宿禰田主の返事


遊士に われはありけり 屋戸貸さず

還ししわれそ 風流士にはある


みやびをに われはありけり やどかさず

かへししわれそ みやびをにはある


風流な人だから家に入れず帰した私が風流な人なのです


別の詠みをすれば


「みやびをに」は、「雅男に」

「われはありけり」は、「我はありけり」

「やどかさず」は、「や咎さず」と、欠点のない

「かへししわれそ」は、「帰しし我そ」

「みやびをにはある」は、「雅男にはある」


欠点のない雅男だと反論している



石川女郎


わが聞きし 耳に好く似る 葦のうれの

足痛くわが背 勤めたぶべし


わがききし みみによくにる あしのうれの

あしひくわがせ つとめたぶべし


私が聞いたそのみに葦の若芽のように足を引きずる君、お大事に


別の詠みをすれば


「わがききし」は、「和歌聞きし」と、返事の和歌を聞いた

「みみによくにる」は、「耳に良く似る」と、私の和歌に似ていて

「あしのうれの」は、「悪しのうれに」と、お前のは味気ない

「あしひくわがせ」は、「悪し引く和歌せ」と、味気ない和歌をするのを

「つとめたぶべし」は、「勤めたぶべし」と、勉強しなさい


和歌詠みも、私が詠んだ和歌に似ていて趣がないから、もっと勉強しなさい


さて、四句の「あしひくわがせ」を「「吾」し引く和歌せ」と解釈すれば、最初の和歌は、

「みやびを」と「われ」が、「吾」に該当する

だから

歌からこれらの言葉を引くと

「みやびを」と

「われ」はきけるを 

やどかさず 

「われ」をかへせり 

おその「みやびを」

から

「と、はきけるを、やどかさず、をかへせり、おその」が残る

これは

「と、葉来ける男、や解かさず、緒返へせり、遅その」

と詠める

これは

「このように、歌が来たのに、歌を解かずに、歌を返した、しかも、遅い」

と、和歌を理解していないと、さらに、駄目だしをした


でも、大伴宿禰田主は、このことも気づかずにいたことだろう


当時の雅な人は、和歌を上手く詠めないなら、相手にされない