万葉集の歌から


大津皇子が秘かに、伊勢斎宮の大来皇女(大伯皇女)に会いにゆき、帰った後に、大来皇女が詠んだ歌がある



わが背子を 大和へ遣ると さ夜深けて

暁露に わが立ち濡れし


わがせこを やまとへやると さよふけて

あかときつゆに わがたちぬれし


君を大和へ行かせると小夜更けて暁の露に濡れてしまった


別の詠みをすれば


「わがせこを」は、「我が背子を」

「やまとへやると」は、「や、纏へ破ると」と、抱きつくので引き離すと

「さよふけて」は、「然、夜更け出」と、夜更けに出て

「あかときつゆに」は、「頒とき露に」と、分かれの時に涙が流れ

「わがたちぬれし」は、「我貌濡れし」と、泣いた


大来皇女は斎宮なので、大津皇子の求めを拒絶したのだ



もう一首


二人行けど 行き過ぎ難き 秋山を

いかにか君が 独り越ゆらむ


ふたりゆけど ゆきすきがたき あきやまを

いかにかきみが ひとりこゆらむ


二人で行くのも行き過ぎ難い秋山を、君はいかにして一人で越えるのか


別の詠みをすれば


「ふたりゆけど」は、「符足り行けど」と、公文書を持ち行く

「ゆきすきがたき」は、「行きず来難き」と、行も来るも難しく

「あきやまを」は、「彼来や今を」と、君がもう来て

「いかにかきみが」は、「如何にか君が」と、如何にして君が

「ひとりこゆらむ」は、「一人来許らむ」と、一人で来るのが許されるのか


斎宮の処に来るのは、公文書が必要なのに、一人で来た君は如何にして許されるのか


一人で、独断で、斎宮である大来皇女の処へ来た大津皇子を非難しているようだ



大津皇子は、謀反を企んだとして捕縛され死ぬことになる

その大津皇子の辞世歌がある


ももづたふ 磐余の池に 鳴く鴨を

今日のみ見てや 雲隠りなむ


ももづたふ いはれのいけに なくかもを

けふのみみてや くもがくりなむ


長らく続く磐余の池に鳴く鴨を今日見てから雲隠れする


別の詠みをすれば


「ももづたふ」は、「百伝ふ」

「いはれのいけに」は、「いれの池に」

「なくかもを」は、「無くかも尾」

「けふのみみてや」は、「消ふの身、見てや」

「くもがくりなむ」は、「句裳隠りなむ」


多くを伝える謂れ(物事が起こった理由)の池に、尾を無くし、消える身、見てや、句の衣裳に隠れている


尾の部分を取り出せば、

「けに」「てや」「なむ」だから

「怪に出やなむ」と、怪異が起る、または、化けて出る、と言っている



大津皇子の死後に、伊勢斎宮をしていた大来皇女(大伯皇女)が、持統の即位に伴い、任を解かれ、伊勢の斎宮より京に上りし時の歌、二首



神風の 伊勢の国にも あらましを

なにしか来けむ 君もあらなくに


かみかぜの いせのくににも あらましを

なにしかきけむ きみもあらなくに


神風の吹く伊勢の国にいれば良かったのに、何をしに来たのか君はいないのに


別の詠みをすれば


「かみかぜの」は、「神が為の」と、神が為す

「いせのくににも」は、「伊勢退くににも」と、伊勢の斎宮を退くにも

「あらましを」は、「あらましを」と、希望を

「なにしかきけむ」は、「何しか聞けむ」と、どうして聞くことができようか

「きみもあらなくに」は、「君もあらなくに」と、君がいないのに


伊勢の斎宮を退いて来たが、希望が見いだせない



もう一首


見まく欲り わがする君も あらなくに

なにしか来けむ 馬疲るるに


みまくほり わがするきみも あらなくに

なにしかきけむ うまつかるるに


逢いたいと思う君がいないのに何しにきたのか、馬が疲れるのに


別の詠みをすれば


「みまくほり」は、「身曲ぐ惚り」と、歪め本心を失う

「わがするきみも」は、「和歌する気味も」と、和歌をする気にも

「あらなくに」は、「有ら無くに」と、あるわけでもないのに

「なにしかきけむ」は、「何し書き消む」と、何を書き消す

「うまつかるるに」は、「憂松離るるに」と、憂れる松が離れる


または


「みまくほり」は、「身巻く堀り」と、身の周りを掘り

「わがするきみも」は、「我がする木見も」と、その木を見ると

「あらなくに」は、「有ら無くに」と、あるわけでもないのに

「なにしかきけむ」は、「何しか聞けむ」と、何かを聞ける

「うまつかるるに」は、「憂松枯るるに」と、憂れる松が枯れる


歌を書いたり消したりする憂いの松、

何かを聞くことができる憂いの松、

けの松は、有間皇子が枝を結んだ松のことではないか

その松が枯れるまたは、離れるのだから、霊魂の依り代の松ではなくなるのだから、結局、何も書けないし、何も聞けない

だが、

有間皇子を引き合いに出したのだから、無実の罪なのだろうとも思えるが、

何も語らないのだから、本当のことは分からないということだろう



大津皇子の屍を葛城の二上山に埋葬する時の大来皇女の歌二首


うつそみの 人にあるわれや 明日よりは

二上山を 弟世とわが見む


うつそみの ひとにあるわれや あすよりは

ふたがみやまを いろせとわがみむ


空蝉の脱殻の人である私は、明日からは二上山を弟と思って見る


別の詠みをすれば


「うつそみの」は、「現そ身の」

「ひとにあるわれや」は、「人にある我や」

「あすよりは」は、「明日よりは」

「ふたがみやまを」は、「二上山を」

「いろせとわがみむ」は、「弟と我が身、む」


二上山は、二つの峰を持つ双子山、その二つの山頂を弟と自分に見立てている


大津皇子の辞世の歌の

「怪に出やなむ」の、化けて出る、を、二上山の一つの峰に見立てたのかも知れない



もう一首


磯の上に 生ふる馬酔木を 手折らめど

見すべき君が ありと言はなくに


いそのうへに おふるあしびを たをらめてど

みすべききみが ありといはなくに


岸の上に生える馬酔木の枝を手で折り見せるべき君はいない


別の詠みをすれば


「いそのうへに」は、「い其の上に」

「おふるあしびを」は、「御降る悪し日を」

「たをらめど」は、「た居らめど」

「みすべききみが」は、「み鬆剥ぎ君が」

「ありといはなくに」は、「在りとは言はなくに」


この歌は、部分日蝕を詠んでいる


大津皇子の辞世の歌の、

「怪に出やなむ」と、怪異が起ることに由来して、部分日蝕が起きたと思ったのだろう