古今和歌集の古今伝授の三鳥とは

「呼子鳥」

「稲負鳥」

「百千鳥」

または

「都鳥」



「呼子鳥」


をちこちの たづきも知らぬ 山中に

おぼつかなくも 呼子鳥かな


をちこちの たづきもしらぬ やまなかに

おぼつかなくも よぶことりかな


あちこちと見当も付かない山中に頼りなさそうに鳴く呼子鳥だな


「よぶこどり」を「「よ」経「こ」鳥」と解釈するならば、「よ」を「こ」に変換する


「をちこちの」は、「彼方此方の」と、あちこちの

「たづきもしらぬ」は、「た付きも知らぬ」と、付けても知られずに

「やまなかに」は、「や、ま中に」と、中に

「おぼつかなくも」は、「帯ぼ付かなくも」と、自分の巣に産まずに

「こぶことりかな」は、「請ふ、子取りかな」と、子を取ることをする


所謂託卵を詠んでいる



「稲負鳥」


我が門に 稲負鳥の 鳴くなへに

今朝吹く風に 雁はきにけり


わがかどに いなをせとりの なくなへに

けさふくかぜに かりはきにけり


私の門で稲負鳥が鳴くに連れて今朝吹く風に雁がやってきた


「いなをせとり」を「「い」な「を」せ鳥」と解釈するならば、「い」を「を」に変換する


歌は


「わがかどに」は、「我母処に」と、母の処に

「をなをせとりの」は、「緒直せ鳥の」と、長く正しくする、この場合は、餌を暮れ続けること

「なくなへに」は、「鳴くなへに」と、鳴きながら

「けさふくかぜに」は、「食さ生く彼せに」と、食べて生きる小鳥は

「かりはきにけり」は、「狩り吐きにけり」と、狩りをして小鳥に吐き戻した


母鳥が鳴き呼ぶ子鳥に餌をやる



「百千鳥」


百千鳥 さへづる春は ものごとに

あらたまれども 我れぞふりゆく


ももちどり さへづるはるは ものことに

あらたまれども われぞふりゆく


幾多の鳥が囀る春は物事が新しくなるが私は歳を取ってゆく


「ももちどり」を「「も」も「ち」鳥」と解釈すれば、「も」を「ち」に置き換える


歌は


「ちちちどり」は、「父千鳥」と、父親の千鳥

「さへづるはるは」は、「囀る春は」と、囀る春は

「ものことに」は、「面の子とに」と、子鳥の方に

「あらたまれども」は、「あら溜まれども」と、餌を溜めて

「われぞふりゆく」は、「割れぞ降り行く」と、分けるために巣に降りる


父親の鳥も餌を与えている



「都鳥」の歌は


名にし負はば いざ言問はむ 都鳥

わが思ふ人は ありやなしやと


なにしおはば いざこととはむ みやこどり

わがおもふひとは ありやなしやと


意味は

都を名に持つから、さあ問いかけるよ、都鳥、私が思うあの人は、元気か否かと

となる


「みやことり」を「「み」や「こ」鳥」と解釈すれば、「み」を「こ」に置き換える


歌は


「なにしおはば」は、「汝に死負はば」と、君が死んだなら

「いざこととはむ」は、「いざ子、父填む」と、子よ、父が墓に入れる

「こやこどり」は、「子や子取り」と、子や子、手を取り

「わがおもふひとは」は、「我が思ふ一は」と、私が思う一つのことは

「ありやなしやと」は、「在りや無しやと」と、生きているのか死んでいるのかと


三鳥は、

「呼子鳥」は、「請ふ子鳥」

「稲負鳥」は、「緒直せ鳥」

「百千鳥」は、「父千鳥」

「都鳥」は、「子や、子鳥」

と、

何れも、親子の鳥のことを詠んでいる