「遣らずの雨(やらずのあめ)」は、

訪ねてきた人が帰るのを引き止めるかのように降り出した雨


雨を雪に変えれば、別の言葉がある


「眼離れせぬ雪(めかれせぬゆき)」は、視野から離れることがないのだから、降り頻る雪、つまりは、出掛けることのできない雪


「伊勢物語」の八十五段には「目離れせぬ雪」がある


正月に出家した主君のところへご挨拶に行ったが、大雪に見舞われた

そこで、大雪のために外出できずに室内に閉じ込められていることを題に歌を詠んだ


その歌は


思へども 身をしわけねば 眼離れせぬ

雪のつもるぞ わが心なる


おもへども みをしわけねば めかれせぬ

ゆきのつもるぞ わがこころなる


この歌は

思い願ってみても、この身を二つに割くこてはできないので、降り頻る雪が積もるのは私の気持ちです

となる


この歌の

「身」は、「身頃(身衣)」のこと

「眼」は、「目」で縫い目

「雪」は、「裄」で、袖までの長さ

と読み換える

すると、


「おもへとも」は、「思へとも」を「表へとも」で、表へ出掛ける時に


「身をしわけね」は、「身をし分けね」を「身を仕分けね」と解釈できる掛詞、

「身」は、着物の前身頃(身衣)と後身頃で、「仕分け」は、仕立てで、着物を作ること


「めかれせぬ」は、「眼離れせぬ」を「目離れ為ぬ」で、「目」は、合せ目や継ぎ目のことだから、「離れ為ぬ」は、着物の継ぎ目を解く


「雪のつもる」は、「雪の積もる」を「裄の付盛る」と裄を長くすること


「心なる」は、「此頃なる」と、この頃であるとなる


だから、この歌は、

表へ出掛ける時には、着物の仕立て直さ、着物の裄を長くする必要があるこの頃です

と解釈できる


この歌を聞いた元主君は、自分のお召し物を脱ぎ、歌の詠み手に授けた


主君は、この歌の意味を理解したからこそ、「この私の着物を仕立て直して、私のもとに尋ねてください」という気持ちを込めて、着物を渡したのだろう


歌の掛詞に隠された真意を読み解かなければ、物語の人々の気持ちを察することはできない