「桃栗三年柿八年、梅は酸い酸い十三年、梨はゆるゆる十五年、柚子の大馬鹿十八年、蜜柑の間抜は二十年」



「桃(もも)」は、

実が多くなるので「百(もも)」

実に毛が生えているから「毛毛(もも)」

邪気を払うとされるので「真実(まみ)」から

などの説がある


「桃」の特徴は、中の一つ種が大きいこと、その実がりっぱな衣服をまとっている様な実だから「裳(も)」、強調して「もも」なのではないか



「栗(くり)」は、

黒い実だから黒(くろ)なら

落ちた実が石(くり)のようだから

などの説がある


「栗(くり)」の最大の特徴は、

いがいがの中から取り出す実だから、「繰る」ものだから「くり」だろう

「いがいが」は、無数の棘があるから厳しいので、「厳(いか)」を強調したものだろう



「柿(かき)」は、

堅い(かたい)から

艶艶している「かがやき(かがやき)」から

赤き(あかき)実を付ける木だから

などの説がある

でも

一番の特徴は、渋い実を干すと甘い実になることだろう

つまり、干し柿にするために「懸く(かく)」ことからの名前だろう



「梅(うめ、むめ)」は、

その実に毒があり、酒に漬けるか、干して梅干しにするか、熟して食べる必要がある

だから

「うむ(熟む)」必要があるものだから、「うめ」なのだろう



「梨(なし)」は、

「枕草子」の「木の花」の条で言及されている

日本では、興醒めする花、身近な鑑賞をしない、愛嬌のない人の顔の喩えに使う、葉の色はつまらない、と記されている

日本古来の梨は、山梨、山の麓の人里付近に自生していて、実は、2、3センチと小さく、果実も硬く、甘みは乏しく酸っぱい味のため、あまり食用には向かなかった

別名として「大酸実(おほずみ)」と言うくらいで、「酸実(ずみ)」の大きいものという認識でもあった

梨は、薔薇科の植物であるため、幼若期の苗木には棘があるが、花芽を付ける頃には、棘は無くなる

梨は、自家不和合性、すなわち、同じ品種間では結実しないので、実が成りにくい

(だから、現在の栽培手法では、他品種による人工受粉が行われる)

さらに、

食用としての梨は、大陸から持ち込まれた中国梨が普及していったらしい


野生の梨の特徴は、実の数がとても少ないこと、だから「実が無し」で「なし(梨)」なのだろう


その昔は、「山なしの花」と歌われている

例えば、

藤原定家は

あしびきの 山なしの花 散りしきて

身を隠すべき 道やたえぬる

と、詠んでいる


あしびきの やまなしのはな ちりしきて

みをかくすべき みちやたえぬる


意味は

あしひきの山梨の花が散るように、身を隠すべき道が絶えてしまった

となる


この歌の通りに、梨の花は、とても数多く咲く


ここで、

「あし」は、「悪し」で、味が悪い

「ひき」は、引きずる

「身を隠すべき」は、「実を隠すべき」で、実が成らないこと

「道やたえぬる」は、「満ちや絶えぬる」で、実が満ちることはない

と解釈すれば、

この歌は、


悪し引きの 山梨の花 散りしきて

実を隠すべき 満ちや絶えぬる


と書き換えることができ、

歌の意味は、

悪い味を引きずる実を持つ山梨の花が散っても、実を隠すべきで、実が満ちることがない

となる


梨は、無数の花が散るが、実が成らない、

梨に例えられた人は、いくら花を咲かせても、成果が評価されない、ということを意味しているのだろう



「柚子(ゆず)」は、

中国語の「柚子(ゆうづぃ)」で、「柚実(ゆず)」が本来の形

平安時代には、ただの「柚(ゆ)」と呼ばれていた



「蜜柑(みかん)」は、

室町時代に伝えられた柑橘類の品種が、蜜のように甘い柑子だったから、「蜜柑」となった