「あながち」は、一方的に物事を決められないこと、本当かどうかはっきりと判断できないことを意味する
しかし
古語の「あながち(強ち)」は、
身勝手なことや
ひたすらなことや
甚だしいこと
を意味した
本来は、
「あながち」は、「我な勝ち」だから、自分の意見が勝つのだから、身勝手なことの意味に通じる
でも、多分、いつかから、
「あながち」を「穴勝ち」と解釈して、
「穴」には、欠点や欠陥の意味があり、
「勝ち」には、「し勝ち」の意味があるから、何かの傾向があるかもしれないという意味なもなり、
合わせて、
欠陥があるかもしれないということになるから、本当かどうかを判断できないことになる
この変化は、「うがち」とう言葉の影響を受けたのかもしれない
「うがち(穿ち)」は、
本来は、穴を開けるという「穴を穿つ」の意味だが、
やがて、
欠陥(穴)を指摘する(穿つ)意味にもなった
だから、
人の気付かない真相を探り出すことや、人情の機微を巧みに指摘することを意味する様になった
だから、
「あながち」も「うがち」の意味の変化とともに、かわったのではないか