倭国は山島の国
至る所に、山を背にする川の扇状地である山戸の地形が多くある
山には木が生い茂り山林を形成する場所はどこにでもある
また川の河口付近が浅瀬である灘や潟の地形も多くある
倭や大和や山戸
木国や紀伊
灘や潟
だから
何も、大和だけが、やまと、なのではない
大和
大は、おお(おほ)
和は、なぎ
だから、大和は、おほなぎ
倭国の大乱を収束させた崇神の王宮のある国だから、大和と書き、やまと、に当て字したのではないか
ちなみに
出雲(いづも)は、いづつむ(出づ+集む)からの変化ではないか
出づは、出かけること
集むは、集まること
つまり、出雲の砂州が汐の満ち引きで増えたり減ったりするからか
砂州が増えたり減ったりしたからか
さらには、その港は、舟や人が出たりあつまったりするから、適した名前となったのだろう
これに、須佐之男の歌から出雲を当て字したのではないか