ネットで倭国や邪馬台国とか古事記や日本書紀を検索すると、いろんなブログでいろんな人が独自の記事を書いている
時たまに、楽しく拝読しています
記載している人は限られるが、
自由に論陣を張っていて、
100人いれば100説あると言われるのが実感できる
ブログだと、近畿大和説の人は少なく、北部九州説の人が多いみたい
部分的には賛同できたりするし、
つまみ読みなので、根拠部分を見逃しているかもしれないけど、納得できない部分もある
ホームページやユーチューブで掲載されている記事が、従来からある説の紹介の方が多いことに比べれば、目新しさがある
検索結果の大部分は、未だに、従来説の紹介が、倭国の紹介になってしまいがちだ
目新しい進捗がないのだから致し方ない
古事記と日本書紀が編纂されてから今迄、解かれない謎
問は簡単、
邪馬台国は何処か?
卑弥呼は誰か?
倭国の実像は?
答は得られていない
幾人もの探索者が読み筋を立てる
何人もの考古学者が土を掘り返す
探索本部は年とともに縮小し、
一時の熱が冷える
何かの見落としがある
新たに、吉備や福井とか四国阿波等が提案される
探索範囲を広げ、一から出直し
何か見落としがある
人が謎を作ってしまうのだ
邪馬台国京都説は、出雲王家から近畿王家への移行の混乱期を説明する仮説
本論が、近畿北部の山代、近江、河内、丹波の調査を促す一助にならないものか
継体は近江や越前から近畿入りする前に、河内や山代にて十分に力を蓄えている
継体が辿った経路は、倭国大乱でも戦場となりうる場所ではないか