倭国について、特に、倭国大乱と卑弥呼の時代について、古事記と日本書紀を議論してきた

これまでは、この記紀の記録は、当てにならず古代史研究には役に立たないとする見解の学者が多数を占めてきた

だが、倭国の王統の記録として、価値のあるものとして見直すべき記録であると思う


人は歴史を解釈したがるし、固定化したがる
解釈や固定化したがる事象は歴史だけではない
何事も固定化することで、不明なことに解釈を与え、分かった気になるから安心できる

古代の人々は、神の存在や悪魔の存在や創生神話をもって、今あるこの世界を理解した
どの民族も創生神話を持っていて、その子孫が王統の人々であることが大半だ

創生時とは違う今は、神から託された王族が世界を、人々の暮らしを支配する力がある

勿論、今では、今ある社会について、科学的なアプローチにて成り立ちを理解するのが一般的になっている

古事記や日本書紀を、神の創世で理解するのではなく、科学的な見地からみると、少し違ったものとなる

当時の人々が記録した王家の記録を、科学的な見地から記録として読み直すのだ

出来事は、事実に神解釈が含まれるので人解釈に変える必要がある

王族の名前には意味があるし、系譜は、王族にとって神へ繫がるものだから、重要なもので間違いが少ない

時間や地名は、解釈し直す必要がある

重要な人は、複数の名前を持つことの方が多い

違う地域の王族の物語のつなぎ方を間違えている箇所がある

編纂時の意図によって歪められた箇所がある

解釈し直せば、日本列島の王族の歴史を記録した古事記や日本書紀は、いたって自然な物語となる