日本書紀には、倭国は、九州の地の国ではないかと推測させるような仕掛けが施されている

邪馬台国については
王の寿命を長くすることで、九州の地にいた神功皇后が卑弥呼ではないかと思わせるミスディレクションがある

本当の卑弥呼の時代のことは、近畿の出来事なのに、出来事を記録せずに、王統の記録のみを記載することで、あえて、九州の地に邪馬台国があったのではないかと思わせているとも考えられる

倭の五王については
近畿大和の王たちは、中国の記録の王位の在位年代倭とは異なる
九州の地の紀王朝の王たちを将軍職にあるものたちが王を詐称したかの様に推測できるかの様に仕掛けているとも考えられる

すなわち
倭国は九州主体の国家連合であり、
日本国は近畿大和を主体とする国家で、倭国を併合した国家であると主張している様に思える

この仕掛けにはまれば、邪馬台国は九州にあったのだという結論に至ってしまう

でも
古事記や日本書紀には、百歳を越える寿命の王たちが数多くいるのはあり得ない

卑弥呼の時代の記載が王統だけなのは、かえって、近畿の出来事を隠蔽している証拠とも思える

倭の五王の時代に実権を持つのは九州の紀王家であり、近畿大和の王統の方が実体のない名目だけの存在であるとも考えられる

しかし、近畿大和の王統を神武の時代にまでつなげ、血筋の正統性を主張、地理的な正統性を主張したものが、日本書紀なのだろう

仮にも国史の書物なのに、こんな改変をして良いものなのか

もっとも、現実離れした話は、神話の世界だけでなく描かれているのだから、このくらいの改変は、有り、なのか?