国生みの古代の国の名前について

「淡路島(あわぢしま)」
「泡霊(あわち)」と、鳴門の渦を意味しているのだろう
また
「御食国(みけつくに)」とも呼ばれ、海産物、獣肉、塩、水などが豊富に採れる土地であった

「伊予(いよ)」
道後温泉で有名な温泉地とあり、ワキミズが豊富だから、「いゆ」から「いよ」と転化したようだ

「讃岐(さぬき)」
「狭緯(さぬき)」で、幅の狭い土地

「阿波(あは)」
「泡(あは)」で、鳴門の渦潮からきているのだろう

「土佐(とさ)」
「門狭(とさ)」と、土佐へ通じる平坦な部分がなく、狭い山狭を通る出入り口を意味する



「高天原(たかまがはら)」
天地か初めて開けた時の天空の世界
天照大御神に与えられた土地
九州のことか?
「高天原」なら、高くて平な土地だから、「奈良」の地形にも当てはまる

「夜の食国(よるのをすくに)」
月読命に与えられた土地
出雲から因幡、伯耆にかけてか?

「海原(うなはら)」
須佐之男命が始めに与えられた土地
瀬戸内海の島々
か?

「出雲(いづも)」
須佐之男が八岐大蛇を退治して住んだ土地

「豊葦原の千秋長五百秋の水穂国」
「とよあしはらの
ちあきながいほあきの
みづほのくに」
大国主命が治め国譲りした土地
「出雲」のこと
「出雲」は「出穂」か「水穂」のようだ


「古事記」や「日本書紀」には、
王位継承を巡る対立、争いが何度か起きている

伊邪那岐の子の
天照大御神と須佐之男命は、対立している

伊邪那岐は、日本海側の土肥、北九州から伯耆にかけての土地に所縁がある

子の天照大御神は北九州、須佐之男命とその子孫の大国主命は、出雲を支配する

そこに、天照大御神の子孫が、大国主命に国譲りを迫り、出雲(葦原中国)を手に入れる

天照大御神の系統の
天穂日命(国譲りの出来事)
邇邇藝命(出雲に赴任)
火照命(海幸彦)、火須勢理命、火遠命(山幸彦)の兄弟の争いがあり、火遠理が、海神の協力を得て、出雲の支配者となる
火遠理命の子、鵜葺茅葺不合命が生まれる
不合命の子に若御毛沼命(豊御毛沼命、神倭伊波禮日子命、神武)が生まれる

一方、
神倭伊波禮日子命(神武)の子は、
神沼河耳命(綏靖)は兄の神八井耳命が富藝志美美命を打倒してくれ、王位をも譲ってくれたので、王位に付く
その子の師木津日子玉手見命(片塩の浮宮)が後を継いで王となる

この師木津日子玉手見命には、三人の子がある
常根津日子伊呂泥命
大倭日子鉏友命(安寧)
師木津日子命

この大倭日子鉏友命が後の崇神へと続く系統になる

弟の師木津日子の子には和知都美命
この和知都美命の子には
蠅伊呂泥(意富夜麻登久邇阿禮姫)と
蠅伊呂どの姉妹がいた

この三兄弟を
常根津日子伊呂泥命が、火照命(山幸彦)
大倭日子鉏友命が、火須勢理命
師木津日子命が、火遠理命(海幸彦)
とするならば

親の師木津日子玉手見命の師木を継いだのは、師木津日子命(海幸彦)となり、その子の和知都美命は、淡道の御井宮にいたという
この淡道の御井宮が出雲であれば、この系統が出雲の支配者となる
しかし、男子の子の記録がない

そして、火須勢理命の系統が、大和の地域の王となったのではないか


火照命(山幸彦)と、火須勢理命、火遠理命(海幸彦)の時代、
火照命は、北九州を
火須理命は、大和を
火遠理命は、出雲を分割支配し、
出雲が中心になるはずだった
しかし
鵜葺茅葺不合命(和知都美命)には、二人の娘しかおらず、後継争いが再燃した

その争いも、
火須佐理命の系統の大倭根子日子賦斗邇命(孝霊)を父に
火遠命の孫の意富夜麻登久邇阿禮姫を母に持つ夜麻登登母母曾姫が卑弥呼として女王となり
四人もいる弟たちが、卑弥呼を補佐したのではないか
特に、
年の近いすぐしたの弟、日子刺肩別命あたりが、補佐した弟ではないか
刺肩は、日の刺す方別と解釈すれば、「日刺方」が卑弥呼で、弟の日子刺方別命がそれを助けたようにも解釈できる


倭国の記録は
「古事記」
「日本書紀」
中国の国書の中の「倭国伝」
などがある

これらの記録については、
中国のの「倭国伝」については、情報量が少ないし、言葉の違いから、正確さに欠ける
「古事記」や「日本書紀」については、
全くの絵空事とする意見や、ある程度の史実に基づいているにしても、それなりの脚色が施されているとする意見や、人の記憶を伝える口伝を代々重ねるうちに、内容が改編されている可能性が高いという意見もある

しかし
当時の人々は、神代の時代があったと考えていたろうし、その当時なりのフウシュウの中で生きてきている

全く考慮するに値しないことだけではないはずだ

この「倭国へ」の記事は
「古事記」を中心に、歴史を見直すもの

特に

古代では、「神」、「命(みこと)」、「王」へと繋がる血筋が重要視されている
だから、王家の系譜は、重要なものになる

人物名や地名は、家系の推移や繋がりを示すもの

「古事記」や「日本書紀」は、倭国の歴史の口伝を元に編纂されているが、大和朝廷の正統性を知らしめるものでもあるから、大和朝廷を中心に据えた書き方になっている

しかも、
「卑弥呼」の謎
「欠史八代」の謎
「倭の五王」の謎
「阿毎多利思比孤」の謎
等がある

これらの謎に一つの可能性を提示できないものか

今、
あらたな史書が発見されるでもなく、新たな発見があった訳でもない

しかし、
視点を、大和朝廷中心から、全体を俯瞰することに変えるだけでも、記録の重みが変わる

また、
現実的にあり得ないことを、単なる神話としてではなく、大陸からやって来た王家が倭国を支配してゆく経過が書かれているなら、何が起こっていたかを推測する

「古事記」や「日本書紀」や「倭国伝」に書かれている文字を見直すことで、推定されることを記録しておくことにしたものが、「倭国へ」である

「倭国へ」は、始めに、ざっと、卑弥呼の時代から倭五王、阿毎多利思比孤迄を見たが、これから、段々と、細かく、見て行くことになる