日光の龍之介 | masaka3936のブログ

    龍之介が日光で思い出した言葉 物語探偵2021


    芥川龍之介の「日光小品」の中では、日光の風景を眺めつつ、龍之介が幾つかの言葉を思い出している。

    蕪村の句
    谷水のつきてこがるる紅葉かな

    ツルゲーネフの言葉の英訳
    I have nothing to do with thee

    ピョートル・クロポトキン
    青年よ、暖かき心をもって現実を見よ

    田山花袋
    形ばかりの世界


    「日光小品」は、日光の各所を言葉という写真機で写真撮影をして巡るかのような作品である。
    しかも、
    蕪村やツルゲーネフや田山花袋といった、自然主義文学に関係する言葉を絡めて、写真撮影して行く。

    自然主義文学は、
    エミール・ゾラ(フランスの文学者、若きマリア・シェルが主演した居酒屋の原作者)
    から始まり、
    フローベルやモーパッサンなども賛同した。
    ロシアのツルゲーネフも、猟人日記で有名だが、農村の生活を描いた。
    日本では、
    坪内逍遙、永井荷風、島崎藤村、田山花袋らが、この流れを受け継いだ。

    文学において、自然の事実を観察し、客観的に言葉にする。
    絵画における写実主義に相当するだろう。

    芥川龍之介は、これとは異なり、生活の中での人の心の動きを描く作風だ。

    そこに、
    ピョートル・クロポトキン。
    民衆の相互扶助を基軸にした無政府共産主義を提唱した人物だ。

    「日光小品」は、文学思想を顕著に言葉にしたものだ。
    当時の事情を知らないから、そのことには、言及しない。

    ただ、自然主義と言えども、科学論文ではないから、いや、科学論文でさえ、作者の意図がある。
    写真撮影でも同じことだ。

    作者は、何故、この作品を作成したのか?
    作者の意図するものが作品に反映される。

    和歌や短歌、俳句は、自然を歌う中に、感情を込める。

    あらゆる文章には、作者の感情が潜んでいる。

    感情の匂わせ。
    匂いが強いか、弱いか。
    察しさせ、察する世界。

    伝わるか、伝わらないか。

    言葉に、
    具象を意味するものと、
    抽象を意味するものがあるように、

    人は、
    考え、感情、行動、存在の変化、
    混然とした中に生きている。

    必要なものは残り、
    不要なものは淘汰される。

    厳しくも温かく、見守ってゆくことを、芥川龍之介は望んでいた。