宵待草と月見草 | masaka3936のブログ

    宵待草と月見草


    待てど暮らせど来ぬ人を
    宵待草のやるせなさ
    今宵は月も出ぬさうな

    竹久夢二27才、
    房総に避暑旅行、
    長谷川賢(タカ)19才と出会う、
    二人は束の間の逢瀬、
    夢二は帰京、
    賢も実家へ帰る
    翌年、夢二は再び、この地を訪れ、
    賢が嫁いだことを知る

    房総の海辺に宵待草
    宵を待って花を咲かせる宵待草
    実らぬ恋を憂う気持ち

    歌となった歌詞には原詩がある

    遣る瀬ない釣り鐘草の夕の歌が
    あれあれ風に吹かれてくる
    待てど暮らせど来ぬ人を
    宵待草の心もとなき
    想ふまいとは思へども
    我としもなきため涙
    今宵は月も出ぬさうな

    この長い詩から短い詩が作られた
    削ぎ落とし短くしたことで、
    覚えやすくなり、
    さらに、曲が付けられ、
    芸術座音楽会で公演、日本中に広がった

    宵待草は、宵を待って花が咲く
    宵の月を待っている
    月が出ても、でなくとも花は咲く
    そして一晩で萎れてしまう

    宵待草は、夢二なら、月は、賢だろうか

    宵待草は、「宵」に「月」があり、
    月待草
    月見草の親類の種の草

    月は、古くは、万葉集の時代から歌に詠まれてきた
    そして、その後、脈々と、月を題材に歌が詠まれてきた

    天体の中で月ほど表情を変える存在はない
    月は変化する妖しい存在
    月はその姿を変えても、夜空から消えるわけではない
    ただ、見えないときがあるだけだ
    存在しつづけるから永遠でもある

    草も花咲く変化を見せる
    けれども、一夜限りの花
    儚い存在

    待てど暮らせど来ぬ人を
    宵待草のやるせなさ
    今宵は月も出ぬさうな

    一行目    「待てど」、「来ぬ」
    二行目    「宵待」、「やるせなさ」
    三行目    「出ぬ」

    待つ、やるせない、来ぬや出ぬの否定語
    徹底的に、悲しくもやるせない

    富士には月見草がよく似合う
    と書いたのは太宰治
    「富嶽百景」の中のこと

    月見草は、宵待草と同じ属の似た植物
    夏の夜に黄色い花を咲かせる
    太宰治の書いた月見草も、実際の花は宵待草ではなかったかとも言われている

    月見草と宵待草は混同されるが、月見草は純白、宵待草は黄色い花を咲かせる

    万葉集で、月草と書かれている草がある
    露草のこと、
    露と消えるなど、儚い存在だ
    植物としては、全く別のもので、青い花を咲かせる
    ただ、朝に咲いた花が昼には萎むので儚さの比喩に用いられる

    太宰治は、儚い月見草、変化する月、対比する富士を持ってきた

    富士は、不死、変わらぬ生の象徴である
    太宰治は
    「月見草を、金剛力草とでも言ひたいくらゐ、けなげにすつくと立つてゐたあの月見草は、よかつた」
    と、月見草を力強い草と評している

    多分、これは、従来の感覚からは、正反対の感想になる

    療養中の太宰治が、この月見草を見たことをきっかけにして、生きる力を回復したと言うのだから、何事か言わんや

    太宰治は、何故か、月見草に生命力を感じた

    太宰治の故郷は、作品名にもある「津軽」
    その津軽の山野草
    薄く青みがかった白い花を咲かせる月見草
    黄色い花を咲かせる姫月見草

    太宰治は、黄色い花を咲かせる宵待草を見て、故郷の姫月見草を思い出した
    だから、月見草なのであり、
    姫月見草が、岩木山(津軽富士)に、似合うように
    黄色い花を咲かせる月見草(宵待草)か、
    富士に似合うと感じたのだろう
    津軽の山野草は、短い夏に力強く咲く生命力ある草なのだ

    たから、富士には、月見草がよく似合う