少し空きましたが読後感想の続きです。

 

 

 本書はこの後に第6章「オフコース4人時代  1984-1989」へ。私が東京から地元に戻り就職したときに重なり、学生時代のようにアルバムもシングルも、リアルタイムで買って聴き倒すようなことはなくなりました。

 

 この章の内容はほとんど知らなかったことばかり。小田さんの、日本版グラミー賞創設の試み、アメリカでのレコードリリース挑戦、そして解散に至る経緯。このあたりの著者の取材と分析能力はさすがというほかありません。

 印象的なのは、オフコースが2人から5人になり、更には4人、つまり「バンド」となり、音楽に関しては妥協することのなかった小田さんがバンドに気を遣っていたとの考察。「自分が伝えたいものがバンドでやるとなくなっていくんだね」という小田さんの言葉。

 おこがましいけれど、やっぱり私の印象は間違っていなかったのかな、と思います。

 

 第7章「ソロになって 1989-2000」。

 この時期、小田さんの最大のヒット曲「ラブ・ストーリーは突然に」(1991年)が生まれるのですが、この曲についての強く印象に残っているのは、1998年4月に北京駐在となったときのこと。当時大学を卒業したばかりの事務所の23歳の才色兼備の中国人女性スタッフが、この曲が一番好きな曲だと言い、控えめな感じの彼女が恥ずかし気にカラオケで歌っていたこと。ドラマが中国でも放映されていたからですが、当地の若者にも小田さんの曲は刺さっていたようです。

 

 この時期の小田さんのチャリティー活動がその後の「クリスマスの約束」につながっていたとは全く知りませんでした。

 あと、小田さんの交通事故のことも初耳。もっとも、私がちょうど北京にいた頃だったので気が付かなかったのもうなずけるかなと。

 

(続く)