初期のオフコースが「音楽を学問として究めたい」という志向を持っていたというのも興味深い話。

 二枚目のアルバム「この道をゆけば」(1974年)を私が買ったのは、その後に出た「眠れぬ夜」「めぐる季節」「こころは気紛れ」という初期の名作(1975~1977年)を知って以降になるのですが、「別れの情景Ⅰ」「別れの情景Ⅱ~もう歌は作れない」という素晴らしい曲を含むこのアルバム、当時としては異例の曲作り=アレンジともすべて自分たちで行ったということ。やっぱりすごい。

 ちなみに、鈴木さんの「のがすなチャンスを」は、ノリが良いので私たちのバンドでは良くやりました。

 

 興味深いエピソードもたくさん。

 1973年に初めてファンクラブの募集が行われ、初年度に入会したのがたったの264人!

 その中に後に芥川賞を獲る川上弘美がいたとのこと。杉田次郎のファンだった友人に連れられて行ったとき、バックコーラスの二人の歌声の美しさに衝撃を受けて会員になった。それが「オフコース」と知って、日本のフォークグループが出そうなラジオ番組は全部チェックした。

 って、私の「明星」事件(笑)に通じるところがあるように思います。

 それだけ、当時のオフコースの音楽は、私を含む一部の人間にはショッキングだったということです。

 川上弘美も言っています。「ハーモニーの美しいグループは他にもあったのですが、オフコースの二人のコーラスは、聞いたことのない不思議な楽器の演奏を聴くようで・・・」。まさに同感でした!!!

 

 「この道をゆけば」が発売された後、中野サンプラザホールで開催されたライブのアルバム「秋ゆく街で」が同年12月に出ています。オフコースが売れ始めるエポックともなったのがこのコンサートだということで、ずっと疑問だったその経緯についても書かれています。

 

 アルバム「ワインの匂い」が出たのが1975年12月。私は中学2年生で、翌年10月に「めぐる季節」のシングルが発売され、私がラジオで初めてオフコースを聴いたのは多分その頃なので、このア名ルバムが出たとき、私はまだオフコースの存在すら知りませんでした。

 高校生になって自分でアルバムを買えるようになって順次オフコースのアルバムを買いそろえていったので、「ワインの匂い」も高校1年か2年の頃に買ったはず。

 「雨の降る日に」「眠れぬ夜」「ワインの匂い」「愛の唄」…すべて素晴らしいのですが、本書で特に著者が取り上げている「老人のつぶやき」。高校生の頃はそれなりの感性で感動しながら聞きましたが、27歳の小田さんが作ったこの曲を初老期の今の私が聴くとまた全く違って聞こえる。著者の追分日出子さんは私より10歳近く年上のようですが、同じ感想を書いています。

 

(続く)