父のごみ拾い
夫がblogに書いてくれていたので、私も。
今日は私と息子は風邪で家にいたのですが、
今日は私と息子は風邪で家にいたのですが、
娘は「パパとお散歩!そしてごみ拾いしてくるー」
と元気に出かけていきました。
亡くなった父の話をしていたら、当時幼稚園だった娘が「私もやる!」と言ったのが最初で、それからも時折、夫が「じゃあ、ごみ拾いしながら行くか」などと声かけをしてくれて、ここ4年ほど続いています。
大正生まれで、物を大切にし、自然を大切にしていた父にとって、ゴミを拾うことは特別でなく、
目の前に落ちていれば、拾う。ただそれだけのことだったのだと思います。
毎朝の駅まで歩く5分ほどの道でも、駅のホームでも、ゴミが落ちていれば、拾い、ゴミ箱に捨てていました。
空き缶でも、タバコの吸殻でも、なんでも、素手で拾って、、、。
良いことだ、と思いながらも、私は恥ずかしい気もちと、ゴミを素手で触るのが嫌で、少し離れたところでただ見ていたり、急ぎたいときは、周りに人がいなければ、一緒に拾ったり、、という情けない少女でした。
それでも、父は〈お前も拾いなさい〉とは言わず、「別に汚いことないさ」などと笑いながら拾っていました。
週末の散歩やハイキング、といっても、ひたすら歩くことが多かったのですが、そんな時はあらかじめゴミ袋を持って歩いたような記憶もあります。
拾っても、拾っても、、ゴミなんてたくさんあるのですが、それでも、黙々とやる。「愚直」という言葉を教えてくれた父らしい行いだと今思います。
私とは違って、嬉々としてごみ拾いをしている子ども達の姿を父も天国から喜んで見ていてくれることでしょう。そして、父のようにさらりと、ごみ拾いをやっている夫のことも。。
こうやって思い出すと、人は亡くなっても、また人の中に生きているんだなぁ、、とつくづく。
日頃、子どもに偉そうに注意ばかりしてる私ですが、本当に伝わるのは《言葉》より《行い》なんだな、と反省を込めて思います。
将来、子ども達が思い出す母としての私の姿って何かしら?そう思うとちょっぴり怖くなってきました。怒ってばっかりの割にグータラしてた、なんて思われそうで。