輪廻転生 | マサヒロ★ドット★コム

輪廻転生

こないだ某P様と宗教について、少しだけ話したんすけど




仏教の教えにある輪廻転生とは、幽霊うんぬんというものではない。


について書きたいと思います。




あ、僕別に仏教徒じゃないっす。






まず仏教は、バラモン教を批判的に継承して成立した宗教らしい。




バラモン教での死後の世界観は古代インド人が考えたもの。


バラモンと呼ばれる階級の人たちですね。




現世を苦しみの多い世界と考えて


6つの世界に分類される六道と呼ばれるものを輪廻。転生すると考えた。




六道(天界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界)




釈迦ことゴータマ・シッダールタはそのバラモンの教えはおかしいのではないか。


バラモンが本当に死生の真理を知っているとはいえないのではないか。




次の生に引き継がれるアートマンや


その穢れというものが存在するかどうかは


間には本当にはわからないのではないかと唱えたのです。






ちなみに古代日本人の死後の世界観はと言うと神道です。




神道では死後は他界へ行くのだけど、そこは不老不死の世界で神々の世界。


黄泉の国。常世の国でありますね。








はい寄り道しました。








本題の仏教のいう輪廻転生ですが・・・。




僕のようなアホでも分かるように簡単にいうとですね~!




ブッタが説いた輪廻転生とは、人が死んでも霊魂が存在して


また人に生まれ変わるというものではないんです。




ブッタの教えを例えるならば




海があって、そこに波が立ちます。

波は常に形を変えながら、岸に打ち寄せ最後にはなくなります




しかし、全くなくなったのかといえばそうではなく、もとの海に帰っていく。

そして、海に帰った波は、新しい波の原因となります。



ここでは、海を根源的な「いのち」の源、波を個々の「いのち」と例えています。




つまり、海という「いのち」の源が


波という個々の「いのち」を生み出し、また波は海に帰っていくのです。



「諸行無常」というのは、単純にあらゆるものは無に帰する


という意味ではなく、固定的な実体がないという意味です。

(ですから、波は「諸行無常」です。)




そして、個々の「いのち」が終わったとして


つぎの「いのち」を生み出す力になると考えることができます




その意味で「永遠なるいのちの源」は存在する。




エネルギーとして残ってくというような感じっすかね~。






僕も仏教徒じゃないし、詳しく勉強したわけではないのであしからず。






仏教は輪廻転生(霊魂うんぬん)を唱えると僕も思ってました。


一般的にもそう思ってる人は少なくないかも。




その理由として




修業したブッタやその弟子はいいとして


普通の精神の強さの人に対して死後の世界があるかどうかは


わからないと言い切ってしまうのは酷。




だから、その後の仏教教団では死後の世界があると「方便」として認めてあげて


次第に「空」の思想に耐えられるところまで


信者の心を導いていくようになったらしいです。








ちなみにここを一番、読んでほしいんですが。








僕の母親の弟、いわゆる僕の伯父ですが。





魅力的な人なんです。





その人は持論を僕に語ってくれました。





輪廻転生とは!





DNAが残っていく事やと。





子供を作る事がすでに輪廻転生なんだと。





そして、昔は死んでも火葬せずに埋葬したり海に捨てたり


もしくはそのままにしてたりやった。





その死体の栄養源で花が出来る。


その花の蜜を吸って虫が成長する。


虫を動物が食べる。


動物を人が食べる。





もしくは魚は死体をつつく。


その魚を人間が食べる。





そうして輪廻転生の輪が出来ていたんやと。





面白い持論を僕に語ってくれました。





おもろいオッサンでしょ♪