無常
全ては無常で、水のように流れていく。
人の気持ちも、記憶も入れ替え可能で相対化されている。
それどころか、身体でさえも相対的なものにすぎない。
ある仏教の本で書かれている物語では
一人の男が、二匹の鬼の喧嘩場面に出くわしてしまった。
鬼の喧嘩の理由は、一つの人の死体がどちらのものかで喧嘩していた。
一匹の鬼(1)の味方をしたら、もう一匹の鬼(2)が怒って、男の手をもぎとった。
すると、味方をしてもらった鬼(1)が、持っていた死体の手を代わりにつけた。
それを見てまたも怒った鬼(2)は足ももぎとった。
鬼(1)は、足もまたすぐに死体の足で補った。
さらに怒った鬼(2)は、手も足も胴も、頭さえももぎ取ってしまった。
鬼(1)は頭も胴も手足全てを死体で補ってしまった。
そのうち争いをやめた二匹の鬼は、辺りに散らばった男の身体を食べて去った。
男は、身体全てが自分のものではなくなり
自分は自分なのか自分でないのか解らなくなり寺に駆け込み、仏教者達に話をした。
それを聞いた仏教者は、無我の理を感得して、尊い感じを得たという。
これは無我の教えをおとぎ話にしたものです。
相対性の認識が前提になってるのが解る。
分子レベルでは、つど変わっていく人間の身体。
気持ち、思想、信念も変わっていく。
そこに確固たる自分はなくて、流れの中での存在だという事。
それを理解し、受け入れていれば
何に対しても期待せず、求めずにいれる。
人から裏切られても
好きな人が離れていっても
もともと期待していないのだから、悲しみを感じなくていい。
そんなん無理~(/TДT)/
悟りを開くのは無理っす。
それに、人に期待しないというのも、なんだか寂しい。
でも
全ては無常。
少しだけ、楽になれる言葉かも。