三段論法は、論理学における論理的推論の形式のひとつだ。
典型的には、大前提、小前提、結論という3個の命題を取り扱う。
三段論法の典型例は、以下のようなものだ。

(大前提)人間は死ぬ
(小前提)ソクラテスは人間だ
(結論)よって、ソクラテスは死ぬ

大前提と小前提の「は」は、完全なイコールではない。
「は」を「完全に含まれる」と書き換えると理解が容易になる。

大前提の「死ぬ」を「死ぬ存在」と書き換えると、大前提は「人間は死ぬ存在に完全に含まれる」と書き換えることができる。

人間は「死ぬ存在」という枠の中に完全に含まれ、「死ぬ存在」の外部には存在しない。
「死ぬ存在」の外部に存在するのは、機械やロボットであり壊れることはあっても死ぬことはない。

また、人間は「死ぬ存在」に完全に含まれるだけであって、人間だけが「死ぬ存在」ではない。
鳥も犬も魚も、「死ぬ存在」の中に完全に含まれる。

このように、「死ぬ存在」の枠の中には、人間だけでなく鳥や犬なども含まれる。

同様に、小前提を「ソクラテスは人間の中に完全に含まれる」と書き換えることができる。
人間の枠外にはソクラテスは存在しない(ソクラテスという名前の犬がいれば別だが)。
そして、人間という枠の中には私もあなたも含まれる。
ソクラテスだけが人間なのではない。

以上のように考えると、ソクラテスは人間という枠の中に完全に含まれ、人間は「死ぬ存在」という枠の中に完全に含まれる。

ソクラテスは「人間」と「死ぬ存在」という2つの枠の中に完全に入ってしまう。
外側の枠が「死ぬ存在」で内側の枠が「人間」となり、ソクラテスは内側の枠の中に完全に含まれる。
ソクラテスは外側の枠である「死ぬ存在」に完全に含まれるので、「ソクラテスは死ぬ」という結論が導かれる。

では、次のような三段論法は正しいだろうか?

(大前提)学生の中には勤勉な学生がいる
(小前提)学生の中には怠惰な学生がいる
(結論)よって、学生は勤勉か怠惰のいずれかだ

勤勉な学生は「学生」という枠の中に完全に含まれる。
怠惰な学生も「学生」という枠の中に完全に含まれる。
しかし、結論は誤っている。
「学生」という枠の中には、勤勉でもなく怠惰でもない学生が少なからず存在するからだ。

三段論法を文字で説明するのは難しい。
実際に枠を書いて考えていただければ、容易に理解できるはずだ。