トロッコ問題に続いて、法哲学等で必ずと言っていいほど紹介される事例が「ミニョネット号事件」だ。

詳細は検索していただければ出てくるので簡単な概略だけを紹介する。

これは現実に起きたことだ。

 

19世紀、難破した英国船から4人の男性が救命艇で脱出した。

船長、船員2人、給仕係の17歳のリチャード・パーカーの4人だ。

雨水を採取し、わずかな食料で食いつないでいたが、漂流18日目には完全に食べ物がなくなった。

船長は、くじ引きで犠牲になる者を決めようと提案したが、船員の一人が反対したため実現しなかった。

20日目、喉の渇きのあまり海水を飲んだリチャード・パーカーが虚脱状態に陥った。

船長は彼を殺し、彼の血で渇きを癒やし肉を食べて残りの3人は生き延びて救命された。

 

帰国後英国で裁判になったが、その経緯や結果はここでは触れない。

 

もしあなたが裁判官だったら、生き延びた3人を有罪にするだろうか?

もしあなたが船員だったら、リチャード・パーカーの血肉を口に運ぶだろうか?

 

トロッコ事件で扱った「経験的認識」が思いっきり働いて、おぞましさで気分を害する人もいるだろう。

ただ、トロッコ問題と似ているのは、1人を犠牲にして3人の命が助かったという点だ。

 

「自分の命を守るためにやむを得ず行った行為だから処罰できない」と考える人が多いのではないかと私は考えている。

しかし。「いくら極限状態でも17歳の若者を殺して血肉を喰らうというのは人間として許されない」と考える人もいるだろう。

 

この問題も正解はない。

あくまで私の考えだが、自分の命を守るのは生命体としての本能だ。

そのような生命体としての本能の前に、道徳だとか法規範は無益だと考える。

道徳や法規範は人間という生命体の一種が考えたものであり、生命体として存在することが大前提だ。

自分の命を守るのは本能的な行動なので、道徳も規範も吹っ飛んでしまう。

 

いかに想像するだにおぞましい行為であろうと、最も根源的な本能的行動を非難したりすることはできないと(少なくとも私は)考えているが、いかがだろう?