(前回のつづきです)

 

「最近、親権を争って過激な争いがあると聞いていますが?」

「あくまで私の個人的意見ですが、親権という表現がよくないのだと思います」

「どういうことですか?」

「親権というと「親の権利」と書くでしょう。親権が取れなかった親は「親でなくなる」と思ってしまう人がとても多いのです」

「私もそういうイメージがあります」

「親権者というのは、先程ご説明したように、子が成人するまでの間、身上監護権と財産管理権(同時に義務)があるだけのことなのです」

「それって、親の権利では?」

「親の権利というは、もっと広範なものでしょう。離れて暮らしていても子供の健全な育成のためにできることはたくさんあります」

「親権者にならなくとも、実の親子との縁は切れないのですか?」

「もちろんです。親子の縁は決して切れません。親権と関係なく、親は子を養育する義務があるし、逆に、親が老後経済的に苦しくなれば子には扶養義務があります」

「扶養義務って何ですか?」

「ざっくり言えば、介護をしたり経済的援助をしたりする義務です」

「最近、共同親権を求める声が多いようですが?」

「これも個人的意見ですが、共同親権を求める人たちの多くは、子との面会交流ができないことに不満を持っている人が多いようです」

「共同親権って?」

「離婚しても、元夫婦の双方が子の親権を持つという制度です。米国などで一般的です」

「そのメリットは?」

「いろいろ言われていますが、日本の現状で共同親権を認めても、そのまま子との面会交流がスムーズに進むわけではありません」

「面会交流って何ですか?」

「昔は「面接交渉」と呼ばれていました。親権者になれずに子と同居していない方の親が、子と定期的に会うことです。月に1回とか2回とか」

「これは権利なのですか?」

「多くの人が間違え、弁護士でも知らない人がいるのですが、面会交流権の第一次的権利者は子なのです。親は第二次的な権利者です」

「子の権利が優先される?」

「ええ、便宜上親権者になった親と暮らしていても、もうひとりの実の親との定期的な交流は子供の健全な育成にとって極めて有意義だからです」

「じゃあ、もうひとりの親と会うことが子にとってマイナスになる場合は?」

「面会交流は認めるべきではありません。面会交流のたびに両親が大喧嘩をするようでは、子にとっては百害あって一利なしですから」

「これは、仮に日本で共同親権が導入されても同じですか?」

「同じです。仮に共同親権者という資格を持っていても、子の成長に害悪をもたらすような面会交流は認められないでしょう」

「親権者になった親が、意地悪で子に会わせないときはどうするのですか?」

「家庭裁判所に面会交流を認める調停・審判を起こします」

「それでも会わせなければ?」

「子の状況にもよりますが、最終的手段として親権変更が認められるかもしれません」

「そういうこともあるのですか?」

「意地悪で実の親との面会交流を認めないような親と一緒に暮らす場合と、もう片方の親と一緒に暮らす場合を総合的に斟酌し、子の健全な育成にとって前者があきらかにマイナスとなれば、親権変更もありうるでしょう」

「どちらが親権者になるかって、どうやって決めるのですか?」

「当事者間で話し合いが付かない場合は、裁判所で調停をやり、最終的には裁判で決められます」