人間心理を知らずして、人心掌握はできません。

 

野口悠紀雄先生の著書「世界史を創ったビジネスモデル」(新潮選書)を読んだのがきっかけで、映画「クレオパトラ」のブルーレイを観ました。

1963年のアカデミー賞を総なめにした作品とのことなので、何と半世紀以上も前の映画です。

修復されてはいるものの、今観ても壮大なスケールと美しい映像に思わず惹き込まれてしまいました。

 

映画も史実どおり、暗殺されたシーザーが遺言で後継者として指名したのは、クレオパトラとの間にできた息子シーザリオンでも、後継者として最有力視されていたアントニウスでもなく、弱冠18歳のオクタビアヌスでした。

このオクタビアヌス、その後アウグストゥスとなってローマ数百年の礎を築いたのですから、シーザーの慧眼には恐れ入るしかありません。

 

オクタビアヌスは武闘派というより策略家でした。

大変な美貌に恵まれていたものの(それ故シーザーが後継者に指名したという噂も流れたほどでした)、体は弱くしょっちゅう風邪を引いたりしていたそうです。

オクタビアヌスは、シーザー同様、かつての敵兵であっても自軍に投降した者たちには寛容で「彼の下なら大丈夫」という安心感をもたらしました。

これがオクタビアヌスの人心掌握術の一つでしょう。

アクティウムの海戦で、兵士たちをほったらかしにしてクレオパトラの後を追ったアントニウスとは大違いです。

 

徳川家康が、(関ヶ原の戦というタイムリミットを設けたものの)自軍に寝返った大名たちを厚遇したのと同じです。

その子孫、徳川慶喜が鳥羽・伏見の戦いでアントニウスのように兵を捨ててさっさと江戸に逃げ帰ったのは皮肉な巡り合わせですが…。

 

また、オクタビアヌスは最大の敵であったアントニウスの自決後、アントニウスの功績を讃えて最大限の賛辞を贈っています。

死んでしまえばもはや政敵にはなりません。

アントニウスに好意を抱いていた残党を懐柔させる目的だったと私は考えています。

これが彼の第二の人心掌握術です。

 

このような人心掌握術を現代に当てはめると、次のようになります。

 

政治や社内の派閥争いのような内紛の場合、「彼の下なら大丈夫」という信頼感を下の者たちに抱かせる必要があります。

社内派閥に敗れると報復人事が待っているという話をよく耳にしますが、摘み取るのは将来自分にとって脅威になる一部の者に止め、その他大勢には寛容性を示すのが良策でしょう。

その他大勢は(派閥の長など)一部の命令に従っただけのことです。

まとめて報復人事をやってしまうと、いたずらに内部の敵を増やすだけで”百害あって一利なし”です。

 

また、派閥争いに敗れて引退したり別会社に転籍した相手のメンツは、最大限尊重する必要があります。

内部には彼を慕っている残党がいるので、心情を逆撫でするような真似は決してしてはなりません。

出世争いに勝ったりすると、「しょせんあいつは無能だったんだよ」などとライバルを貶める人をしばしば目にします。

そんなことをすると後々足を救われるのがオチ。

完全に力を失った相手に追い打ちをかけるのは愚行と心得ましょう。

 

理屈ではわかっていても、それまでさんざん苦渋を飲まされた相手に対して寛容であるというのは思いの外難しいものです。

それができなければ、最初から上を目指さずにマイペースの独自路線を歩んだ方がいいかもしれません。

高望みしなければ失望も少ない。

それもまた一つの人生でありましょう。