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99円キンドル本です。気楽に物語を読むうちに法律知識が身につきます。

 

「ブッダ最後の旅」(中村元訳 岩波文庫)には、組織論として大変興味深い内容が書かれています。

 

ブッダというのは、ご存知のように仏陀であり俗にいう仏様のことで仏教の開祖です。

ブッダの本名はゴータマ・シッタッダで、紀元前5、6世紀ころ、ヒマラヤの南にあった小さな国の王子として生まれ、何不自由ない生活をしていました。

ところが、城の外の老・病・死を目の当たりにして悩み、29歳で出家しました。

ブッダは、修行僧4人以上のサンガという組織をつくり、自分たちが修行に務めることが苦難から逃れる道だと説きました。

 

他の宗教と大きな違いは、人間を超えた神のような超越的存在を観念しなかったことです。

ブッダ自身は上の存在ではなく、弟子たちのいわばインストラクターとして律(定め)を守り自らを戒めるよう教えたのです。

今の私たちがやっているように「仏様にお願いする」というのは(超越的な存在に依存する)大乗仏教であり、当初のブッダの教えとは根本的に異なります。

 

組織論的に考察すると、ブッダが自らを神格化しなかったのは、将来教義を司る者が権力を握ることを避けようとしたのだと私は考えています。

キリスト教で、かつてカソリックの指導者たちがキリストの教えを曲解して免罪符を売った歴史鑑みれば、ブッダの慧眼に驚かされます。

誤解なきよう付記すると、私は(洗礼を受けてはいないものの)カソリックを信奉しています。

さらに興味深いことは、ブッダは死の直前「後から入ってきた者は先人を敬え」という趣旨の言葉を残しています。

まさに学校の運動部のように、無条件で先輩を敬うよう指示したのです。

 

能力主義を全面的に否定したのは、サンガの内部で権力闘争が起こらないようにするためだったと、研究者の佐々木閑氏が述べていました。

ここで多くの方々が疑問を抱くのは、「日本の組織で年功序列を採用していても内部の権力闘争は発生したではないか?年功序列で権力闘争を抑止することはできないのではないか」という点でしょう?

 

実は、ブッダの説いた「先人を敬え」というのは、日本企業の年功序列とは似て非なるものなのです。

年功序列組織は、上にいけば多くの権力と富を得ることができます。

しかし、ブッダの組織論は先人であっても多くの権力と富を得られる訳ではありません。具体的に言えば、同じ分量の食事を先人から先に配っていくというレベルなのです。

 

この権力も富も伴わない「先人を敬え」という考え方、実は日本社会の潜在的社会構造として根付いているのです。

それを解明したのが「タテ社会の人間関係」(中根千枝著 講談社現代新書)です。

典型例がママ友の集まりかもしれません。

同じ年齢の子供を持つママ友たちの集まりでは、年齢にかかわらず「新入り」が「先輩」に気を使わないと、グループ内で総スカンを食うそうです。

田舎の近所付き合いでも、「新参者」はおとなしく先人の言うことに従うような不文律があります。

 

だとすれば、日本の組織の年功序列制度は、案外日本人のメンタリティに合致しているのかもしれません。

自分より明らかに無能な人が上司であっても、「あの人は先に入社した年長者だ」と思えばそれほど腹が立つこともないでしょう。

ところが逆に、自分の昔の部下が上司になって業務命令を受けるとなると、腸(はらわた)が煮えくり返るような怒りを感じる人が多いのではないでしょうか?

「あの人は先輩だから」「あの人は年上だから」という納得感は、案外”組織の安定”のためには重要な要素かもしれない、などと思っている今日このごろです。