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「革命(かくめい、英語: Revolution、レボリューション)とは、権力体制や組織構造の抜本的な社会変革あるいは技術革新などが、比較的に短期間に行われること」とWikipediaでは定義されています。

日本の歴史では明治維新がそれに近いのですが、天皇家は江戸時代以前から最高の”権威”であったので、新たな体制が生まれたとまではいえないという考えが根強いようです。

ちなみに、憲法学者の故宮沢俊義先生は、ポツダム宣言受諾によって「革命が起こった」という8月革命説を説きました。その内容は以下のとおりです。

 

そもそも、憲法改正限界説を前提とする場合、天皇主権を基本とする大日本帝国憲法から国民主権を基本とする日本国憲法への改正は、憲法改正の限界を超える。しかし、天皇主権と相容れない「1945年(昭和20年)8月のポツダム宣言」受諾は天皇による国民への主権の移譲の同意・承認であり、この時点で国民主権と矛盾する限りで大日本帝国憲法は効力を失うという法的意味の「革命」があったといえる。したがって、日本国憲法は新たに主権者となった国民が制定した憲法であり、旧憲法による改正手続は形式的な意味しか持たない。

 

主権という用語には3つの意味がありますが、天皇主権や国民主権という意味で用いられるのは「国家の最終的意思決定権」という意味です。

国家の最終的意思決定権者が「天皇」から「国民」に代わったことに着目すれば、確かに「革命」が起こったと考えるのが自然です。フランス革命のように、王政から民主政に代わったことを一般に「革命」と呼んでいるので、主権者の変更は紛れもない革命です。

8月革命説は、憲法改正限界説を前提にした上で、大日本帝国憲法の改正手続によって日本国憲法が生まれたことを説明するためのものです。ぶっちゃけて言えば、「こんな重要なことが改正手続でできるわけはない。しかしやっちゃったものは仕方がない。そうだ、その前に革命があったことにして帳尻を合わせよう!」というものです(宮沢先生、失礼)。

 

故宮沢俊義先生の愛弟子てある故芦部信喜先生も、憲法改正には限界があるという立場に立っています。極めて大雑把に言えば、日本国憲法の三大原理である「国民主権」「人権保障」「平和主義」の変更は、憲法改正手続で行うことができないという立場です。

 

昨今、自民党が憲法改正に動き出しました。戦争放棄を規定した9条が最大の焦点となるでしょう。反対論者は、9条に変更を加えることは憲法改正の限界を超えるもので「革命」だと主張するかもしれません。それに対して賛成論者は、9条を変更しても「平和主義」を否定するものではないと反論すると想像されます。

 

私としては、憲法改正限界説を前提にしても、徴兵制や侵略戦争を認めなければ「平和主義」は維持されると考えています。

徴兵制は、国家が強制的に国民の自由を奪って一定期間軍務に就かせるものなので、日本国憲法が規定している「人権保障」を没却するものだからです。また、侵略戦争は明らかに自衛権の範囲を越えたものであり「平和主義」と矛盾します。

9条を変更するか否かという大雑把な議論に振り回されることなく、私たち国民は主権者としてもっときめ細かな考察をする必要があります。とりあえず「徴兵制」と「侵略戦争」を可能にするような改正は一種の「革命」であると現時点で私は考えていますが、みなさんはどうお考えでしょうか?