今から威力を発揮する「歴史総まとめCD」付きです。

 

前回、価格規制について解説する大前提として、「価格は需要曲線と供給曲線によって決まる」ということをご説明しました。実は、余剰という概念については省略しようと思ったのですが、手抜きをすると価格規制の弊害が実感できないと反省し、簡単にご説明することにします。

 

前回の例を思い出して下さい。

 

G社のチョコレートを1000円出してでも買いたいAさん、900円以上1000円未満なら買いたいBさん、800円以上900円未満なら買いたいCさん…それ以降にEさん、Fさんがいるということで、需要曲線が右肩下がりだと説明しました。

また、100円でも売ることのできるa、200円なら売ることのできるb、300円なら売ることのできるc…それ以上なら売れるcとeが存在することで、供給曲線が右肩上がりだと説明しました。

そして、需要曲線と供給曲線が500円のところで交わって、チョコレート1個の値段は500円に決まりました。

 

さて、1000円札とチョコレート1個を交換しても満足できるAさんとしては価格が500円になればものすごくうれしいですよね〜。なぜなら、チョコレート1個を買うことで味わうことのできる「お得感」は、1000円から500円を差し引いた500円になるからです。1個「500円も得しちゃった!」なのであります。

同じように、Bさんの「お得感」は400円、Cさんの「お得感」は300円…というふうになっていきます。

500円なら買ってもいいと思っていたFさんのところで「お得感」はなくなり、普通のトントンのお買い物気分になってしまいます(それでも買う以上はわずかばかりのお得感はあるのですが…無視しましょう)。

 

このように、需要曲線と供給曲線によって決まった500円という価格よりもたくさんのお金を出してもいいと思っている人たちは(金額の違いはあるものの)全員が「お得感」を享受できるのです。この「お得感」の合計を”消費者余剰”といいます。

 

「お得感」と表現しましたが、実は現実的に儲かるのです。あなたが1000円で買おうとしたTシャツをレジに持っていったら「感謝品なので500円の割引です」と言われた場合と同じです。財布の中から出ていたはずの1000円札にラッキーな500円のお釣りが来たのですから。

 

ということで、500円よりも高い値段で買おうとしていた人たちが得した金額を合計すると、需要曲線と供給曲線の交点と縦軸の500円の区切りを結んだ平行線と、需要曲線との間にできる(ゆがんだ)三角形の面積になります。図では上の方の三角形ですね。実際に書いてみれば一目瞭然です。

 

供給側でも同じことが言えます。100円で売ることのできたaとしては価格が500円になることで400円の儲けが出ます。200円で売ることのできるbとしては300円の儲けがでます。…このようにして500円ぎりぎりでしか売ることのできないeでチャラ(厳密には、売る以上はわずかな利益はあります)。このように500円より低い値段で売ることのできる店は(金額の多寡はあるものの)みんな儲けが出るのです。

この儲けの合計を”生産者余剰”といい、需要曲線と供給曲線の交点と縦軸の500円の区切りを結んだ平行線と、供給曲線との間にできる(ゆがんだ)三角形の面積になります。図では下の方の三角形です。

 

そして、消費者余剰(上の三角形)と生産者余剰(下の三角形)を合計した社会全体の儲けを”総余剰”といいます。

 

以上を前提にして、法律による価格規制を考えていきましょう。

 

まず、法律や制度によって価格が決められているモノ(書籍、新聞、タクシー代、チケット代など)について考えてみましょう。先のチョコレートで考えれば、法律で「800円にする」とか「300円にする」と決められたのと同じです。

 

買い手と売り手の自由意思で決まる(需要曲線と供給曲線の交点の)価格が500円なのに、強制的に800円にされたらどうなるでしょう。

先の例で言えば、800円以上でも買いたいと思うAさん、Bさん、Cさんは買うでしょうが、それよりも低い値段でしか欲しくないEさんとFさんは買わなくなります。当然、500円だったら買ったはずのEさんとFさんの分は売れ残ります。

また、500円だったらAさんは10個まとめ買いしたかもしれないのに、800円だったら2個しか買わなくなるでしょう。このように、(本来であれば売れたはずの)チョコレートがたくさん売れ残ってしまいます。

それだけではありません。800円だとAさんの「お得感」は200円にしかなりません。お釣りが500円来るはずが200円になってしまうのと同じです。こうして、消費者余剰は大幅に少なくなってしまうのです(この場合の生産者余剰については省略します)。

 

逆に、300円と決められたらどうなるでしょう?

消費者側としては、トントンだったFさんだけでなく、それより安くないと買わなかったはずのGさんやHさんまで買おうと思うでしょう。

ところが、店の方としては、100円で売ることのできるa、200円で売ることのできるb、300円で売ることのできるcまでしか販売しなくなくなります。400円なら売ることができたはずのdや500円なら売ることのできたはずのfは、確実に採算割れを起こすので販売しなくなります。

ということで、欲しがる人がたくさん出てきても「売り物」が減ってしまうので、欲しのに買えない人にはストレスが溜まり、本来なら売ることができたはずのdやfは売って儲けるチャンスを失います。売るチャンスを失ったdやfは、(価格が500円なら得られたはずの利益を失うので)生産者余剰は少なくなってしまいます。(買い手のストレスも無視できませんが…ここでは消費者余剰の減少は省略します)。

 

このように、自由売買を禁止して法律などで価格を決めてしまうと、「売れ残り」や「買いそびれ」が出るだけでなく、消費者も生産者も(失われた余剰の分だけ)損してしまい、社会全体も(総余剰が小さくなって)損をしてしまうのです。

 

「売れ残り」の最たる例がタクシー料金でしょう。国交省が運賃を高めに設定した結果、利用者が減って(タクシーの)台数制限までしています。

「買いそびれ」の最たる例は、コンサートチケットです。ネットで自由に転売を認めれば、1万円のチケットを「5万円だしても欲しい」という熱烈なファンの手に確実にチケットが回ります。熱烈なファンにとって一生に一度の大イベントだったのに、多忙のために入手できなかったという悲劇は起こらなくなるでしょう。

 

余談ながら、条例等で定められている「ダフ屋行為の禁止」は、戦後の超インフレを押さえるための物価統制令を根拠にしているのです。日銀が2%のインフレ目標を設定してもなかなか達成できない今日、そのような規制を適用するのはあまりにもナンセンスです。

 

最低賃金が問題になるのは、先の例でいえば「チョコレートの値段を800円”以上に”しなければならない」としたのと同じです。ここれ売れ残るのは労働者という人間であって、失業という悲劇を産みます。

これまた余談ながら、最低賃金法が合理的とみなされるのは、その地域に一つしか働き口がない場合や、転職が極めて困難な場合に限られるとするのが通説です。だって、賃金があまりにも安ければ、普通だったらもっと賃金の高いところに転職してしまいますよね。

 

覚せい剤や臓器の売買が禁止されていること。養子縁組の市場ができていないことなど、最初から「需要と供給の法則」を無視した規制もあります。

ひとつひとつ理由を述べるわけにはいきませんが、大麻取引の合法化が世界的に進んでいる点や、1つなくなっても支障がない腎臓、はたまた少々減っても支障のない血液の売買が禁止されている点などは、いろいろと議論の余地があるようです。