1977年3月1日、18歳の私は、午前中に高校の卒業式を終えて、重い荷物を両手に下げて近鉄宇治山田駅から特急電車に一人で乗り込みました。名古屋で新幹線に乗り換え、ていざ東京へ。


午前中に行われた高校の卒業式は、体育館が修理中だったため隣の倉田山中学校の体育館を借りてつつがなく終了しました。

卒業生一人一人が担任教師に名前を呼ばれて立ち上がるという儀式があったのを憶えています。わがクラスの担任教師が例によってせかせかと慌ただしく名前を呼び上げていったので、立ち上げるタイミングをとれずに声が裏返ってしまいました。


翌々日の3月3日のひな祭りの日が東大の一次試験。

一次試験に合格すると、7日8日だったか二日連続して二次試験があるので、一度帰る余裕はありません。

各教科の教科書や参考書と着替えなど詰め込まれた鞄がやたらめったら重かったです。当時は、宅配便という便利なものはなく、ゴロゴロ転がしていける荷物ケースもなかったので、部活で鍛えた(はずの)両腕だけが頼りでした。


それにしても、卒業式の日に一人で東京に向かうのは少しばかりわびしさがありました。多くの友人たちは2月の私立の試験を終えて一段落しており、不心得な連中は2月の終わりに私の家まで遊びに来ました。「ご苦労さん、ご苦労さん、がんばってくれよ」なんて言いやがって、まったく気楽なもんだ!


夕方に東京駅につくと、山手線で渋谷へ。

一次試験が駒場だったので、宿は渋谷の東武ホテル。

当時の「日本交通公社」で受験生パックのようなものを売っており、食事もお弁当もホテルで出してくれるという便利ものでした。

渋谷駅から公園通りを上がるとき、ずいぶん急な坂だと思ってしまったほど両手の荷物は重かったです。


生まれて初めての東京一人宿。

東京区分地図だけが私の頼りでした。

大晦日にシクラメンのかほりがレコード大賞に輝き、ピンクレディーという不思議な2人がデビューした翌年のことでありました。