「法律は小事に関与せず」という金言があるそうです。
どうやら「小事」に患わされることの愚かさを説いたことのようです。
ところが、日本の法律は「小事」に思いっきり関与するのです。
制度改正前は、境界画定訴訟をいうものがけっこうありました。
私もそこそこの件数を担当しました。
この「境界画定訴訟」というのは、隣接した土地の境界を決めて貰いたいと裁判所に訴えるものです。
判決では「請求棄却」という判断は許されず、どこかに境界線を引かなければならないので、裁判官にとっては悩みの種でした。
小ずるい裁判官は、自分の任期の間は引き延ばしって放っておいて後任に引き継ぎ、自分が判決を書かずに済ませようとしました。
勢い、訴訟期間も長期化し、一審が終結するまで5年以上かかるものもザラにありました。
ところで、この大訴訟の原因はといいますと、隣人が30センチ越境してブロック塀を建てたとか、50センチお宅がはみ出しているとクレームを付けられたとか、そういう隣同士の感情的トラブルがほとんどなのです。
30センチや50センチでそれまでの生活に不便が出るわけでも銀座の一等地のように財産価値が高いわけでもありません。
まさに、周りから見れば「小事」(ささいなこと)が原因で、訴訟でいがみ合い、その後もずっとずっと憎しみ合うのです。
ささいな感情的対立が原因となって、長年月(場合によっては死ぬまで)、隣人を憎みながら生活していくのです。
ばかばかしいと思われるかもしれません。
しかし、これがまさに多くの人間が陥る罠なのです。
通りすがりの傷害事件も、ささいなことが原因で起こっています。
イライラしている時に「順番を守れ」と注意されて逆上したり、車同士でお互い譲らなかったことが原因で口論になり傷害沙汰になったり・・・。
加害者は普通の善良な会社員であったり公務員であったり、です。
昔、私がマンションの自転車置き場から原チャリを出そうとしていた時、車が留められていたため出せませんでした。
時間に間に合わなくなるとイライラしていたところに車の所有者がやってきたので、「こんな所に駐車したら迷惑です!」と語気を強くして言いました。
相手は、私の胸ぐらをつかんで「なめるんじゃねえ」と凄んできました。
幸い、当時は「国家公務員に準ずる身分」でしたので、下げたくない頭を下げて許して貰いました。
ひとつ間違えば傷害事件の加害者か被害者になっており、残念な人生を送るところでした。
このように、私たち人間の不幸の原因は「小事」がとても多いのです。
偉そうに書いている私も、今でも時々「小事」でカッとなっています。
Facebookのコメントで誤字を指摘されたり怒りのコメントを書かれると、カッとなってしまいます。
さりげなく友だち関係を解消すればいいことなのですが、匿名SNSの時代にそっと解消したら「ぼくを切ったのですね!先生だけは信じていたのに!」という悲痛なまでのお叱りを受けた経験があるので「小事」で悩んでしまいました。
上から目線で言えない立場であります。
人生は短い。
「小事」に関わっている暇はない。
貴重な時間を楽しく過ごそう。
であります(^^;)