今回は、「青春の蹉跌」(石川達三著 新潮社)をご紹介してます。


本書は、昭和43年に毎日新聞に連載されたものを単行本としてまとめたものです。


(あらすじ)


母と二人暮らしの貧しい大学生、江藤賢一郎は司法試験に合格して裕福な叔父の娘と結婚して人生の成功者になろうとしていた。

かつての教え子の大橋登美子との関係も深まっていったが、賢一郎は決して登美子と結婚するつもりはなかった。登美子に対しては肉体的欲望しか抱かなかった。

若くして結婚して子供をもうけたため司法試験に敗れた従兄弟の小野清二郎を反面教師にしながら、賢一郎は司法試験に合格する。

叔父の娘の康子は賢一郎の合格を知ると、それまでの冷淡な態度を翻して内祝言に前向きにすすんでいく。

前途洋々の賢一郎の前に突きつけられたのは、登美子の妊娠という事実だった。


学生運動盛んだったころの昭和の小説です。


手元にあるのが「平成二十年十月三十日 七十四刷」という、時の洗礼を受けたロングセラーです。


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私自身は、高校時代に一度、20代後半の時に一度、本書を読んでいます。

ところが、今回20年ぶりくらいに本書を再読して驚きの連続でした。


まず、昭和43年当時は、女性は結婚して家を守るという昔ながらの風習が当然視されていたということを再認識したことです。

このような社会的コンセンサスはその後も数十年間続き、女性が働くというのが当たり前になったのはつい最近のことなのですね~。


当然のことながら、当時は結婚年齢も極めて低くく、その後も同様の傾向が続いたようです。

十数年後、私が大学生だった頃でも、4年生大学の女子大生の中には卒業してすぐに結婚すると公言している人が多かったという記憶があります。


また、昭和43年というのは高度経済成長真っ只中でみんなが幸福だった時代のように感じられますが、貧富の差は今より大きかったようで、賢一郎のモノローグに「明治時代のほうが平等だった」という趣旨のものがあります。

貧乏学生の賢一郎は”中絶費用”を捻出することもできない状態でした。


賢一郎が登美子や康子という女性たちを「筋道が通らない相手」と見ているのも興味深いところがあります。

漱石の「こころ」でも、女性を「道理が通らない相手」という趣旨で捉えており、「男=道理で割り切れる相手」「女=道理は通らないが、鋭い感情を持っている相手」というふうに区別しているように感じます。

今から考えれば滑稽です。

男女を問わず、道理だけで相手を説得することなどできません。

感情的に納得できて初めて説得は効を奏するものなのに、本書の時代は「道理で相手を説得できる」と信じている人が多かったのでしょうか・・・世間知らずです。


学生運動華やかなりしころを時代背景とした他の名作として「されど我らが日々」(柴田翔)や「ノルウェーの森」(村上春樹)がありますが、貧しさからの上昇を描いた作品としては本書が第一級でしょう。


本書は、昭和43年という時代にタイムスリップさせてくれる材料がたくさん詰まっています。

現代の常識がことごとく覆されていた時代を垣間見るにも、貧しさからの"陽のあたる場所”への上昇志向を見るにも、本書は最適の一冊だと思います。



青春の蹉跌 (新潮文庫)/新潮社
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