この体験記は、心の病を持った多くの人たちにとって実現できていない現代日本社会のバリアフリーを目的としたものです。
人の命はいつ絶えるかわかりません。
私の命があるうちに自らの体験を公に問うことで、一人でも多くの同じ苦しみを持った人の役に立てればという目的しかありません。
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中野先生亡き後、娘が5年生のお盆に父が急逝した。
寝たきりになっていたけど、ぼくがお返しとして愛用してくれた介護用ベッド(正式名称不知です)と上向きになって読めるブックスタンドで毎日ガンガン読書していたので頭はしっかりしていた。
寝たきりになってからも
「お前を自転車の前に座らせてあちこち行ったよな~」
と、寡黙な父がたまに口に出してくれた。
お盆時期の急逝、乗り物恐怖症を克服してなかったぼくは、通夜にも葬儀にも出られなかった。
申し訳ない気持ちで、またまた「うつ」状態になってしまった。
そんなとき、母と兄が書類を送ってきて
「実印を押して、印鑑証明書を添付しろ」
とのこと・・・。
勘弁して欲しいと黙っていたら、突然東京のマンショに母がやってきて「書類に判子を押してくれ」・・・。
実は、ぼくは父から自筆証書遺言で「全額を雅彦に相続」という法律的に有効な遺言状をもらっていた。
高松の修習生時代だったかどうか忘れたが、父から突然封書で送られ、家内が「お義父さん、そんな弱気なことを」と電話したら「俺の気持ちだから」と言っていたとのこと。
もちろん、ぼくはそんな遺言状を縦に取って争いのタネになるようなことは、絶対にするつもりはなかった。
その結果がどうなるかは、弁護士業務をしていれば明らかだったから。
しかし、更なる電話が架かってきたとき、「うつ」状態に陥っていたぼくは、緊急避難として、自筆証書遺言をもらっいる旨内容証明郵便を送った。
静かになってくれた。
松阪の先輩弁護士でスポーツマンのM先生から、母と兄の代理人に就任したという通知が来たが、放っておいた。
お互い知る関係であり、M先生に対して好感を持っていたぼくがM先生に電話した時、「カリスマ弁護士と母兄との泥沼の争いというのは週刊新潮では面白い記事になるでしょうね、いやいや、ぼくは週刊新潮が好きなだけですから・・・」と冗談交じりにおっしゃった言葉に、ぼくは嫌な予感がした。
経過省略。
修習生時代時代の同級生の弁護士に依頼して、1500万円の金銭をもらって、後は、母と兄の要求通りで和解成立したのは数年後。
父は、土地建物以外にも約8000万円の預貯金を持っていた。
ただ、これだけは書かなければならない。
M先生の裁判所に出した準備書面からの一部抜粋だ。
「原告(ぼく)の本件主張の背景には、うつ病に由来する、母と兄に対する憎悪の感情があることに注意を要する」
「被告代理人(M先生)は、原告から被告母に宛てられた内容証明郵を読み、絶句した。うつ病は人格を変えてしまう。時には気力が萎えて遺産分割の調停さえ拒否し、時には他者に対し過剰に攻撃的となる」
他にも「雅彦は自己中心的な性格で」とか「人間性が信じられない」というような記載があるけど、今読み替えしていて反吐が出そうな気持ちになったので、勘弁して欲しい。
一部抜粋は、全体の趣旨を歪めてしまうので卑怯だ。
ぼくは名誉毀損で訴えられるかもしれない。
しかし、ぼくは決してM先生を恨んではいないし、母と兄への恨みも精算した。
M先生も弁護士としてやむを得なかったのかもしれない。
ただ、1つだけ指摘しておかなければならないのは、「基本的人権を擁護し、社会正義の実現に尽力」するはずの弁護士の「うつ病」に対する認識がこのようなものだということだ。
明るくてスポーツマンで、人権擁護大会でも同室させていただいた弁護士ですら、そういう認識だった。
いわんや、社会をやだ。
今、ぼくはヘトヘトだ。
文章を手直しする気力も後から見返す勇気もない。
既に精算した心がぼくを痛めつける。
ごめんなさい。