この体験記は、心の病を持った多くの人たちにとって実現できていない現代日本社会のバリアフリーを目的としたものです。

人の命はいつ絶えるかわかりません。

私の命があるうちに自らの体験を公に問うことで、一人でも多くの同じ苦しみを持った人の役に立てればという目的しかありません。


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かくして、ぼくは神経科に通院して投薬治療を受けながら仕事に励むことになった。


ある日、幼い娘を連れて歩いていたら、中学時代の同級生にバッタリ出会った。

女子テニス部のエースで全国大会にも出た凄腕の持ち主で、とても明るい性格だったことから多くの男子の同級生たちから好印象を持たれていた。

3人でお茶をしながら、彼女が、

「どこかいい働き場所はないかなあ?今、専業主婦になってしまってて・・・」

と言ったので、ぼくは軽い気持ちで

「時給800円くらいのパートでよければ、うちでも大丈夫だけど・・・」

と何気なく言ってしまった。


帰宅すると彼女から電話があったとのことで、いつから出勤したらいいのかを聴きたいという内容だった。

伸子さんががんばってくれたおかげで専業主婦になっていった家内が、どうして突然雇うことになったのかをぼくに問い詰めたが、ぼくは

「雇うことができるって言っただけなんだけどなあ・・・まあ、伸子さんも忙しいから無理のない時間にパートで来てもらってもいいのかなあ?昔の同級生で素性もわかってることだし」

ということで彼女を雇うことになった。

卒業した高校が伸子さんと同じだったことから、伸子さんも異議なし。

ということで、事務所は正規雇用1人とパート1人になった。


ところが、彼女が最初から訳のわからない言動をするようになったのに、ぼくは驚かされることになった。

制服を作ってくれと言うので、彼女と伸子さんとで相談して新しい制服に変えることにして注文した。

デザイン等は全部彼女たちにお任せだった。

(女性は、制服がある方が職場では助かる人が案外多い。毎日着ていく服を考えなくてもいいからだろう)

事務所の通帳を見ては、

「2000万円も普通預金にあるのはもったいない。定期にすればいいのに」

と言うものだから、

「その口座は税金が引き落とされるので定期にできないんだ」

と説明しなければならない始末。

ある時は、ぼくが留守中に依頼者の方が持ってきてくれた生の鯛を一匹包んでいるので、

「何してんの?」

と尋ねたら、

「お魚、もらってくの」

とあっけらかんに答えた。

鯛は二匹もらってたので、いずれにしても彼女か伸子さんに一匹あげるつもりだったけど(それまでも、頂き物は伸子さんに持って行ってもらったり、あまりに生ものが多いと周りのオフィスにお裾分けをしていた)、ぼくの承諾もなく持って行こうとしたのには少しカチンときた。

でも、まあいいやとりあえず仕事に支障はないし、ということで事を荒立てないようにした。


そんなある日、顧問税理士の先生から電話があって

「荘司先生の事務所に税務調査が入ると連絡がありました」

と告げられた。


正直言ってぼくは慌てた。

病気が再発してからは、病名すらわからないので先が全く読めない。

もしぼくが倒れてしまったら、最悪事務所を閉めなければならない。

幼い娘をどうやって育てていけばいいのだろう?

累進課税のせいでたくさんの税金を払っていたので、まだそれほどたいした蓄財はないし・・・。

そう思っていたぼくは、現金でいただく相談料や依頼費用の一部を申告していなかったのだ。

はっきり言ってしまえば脱税だ。


しかし、実のところいくら脱税しているのかぼく自身にもわからなかいという、いい加減さだった。

アバウトな性格だったので、相談料などをいただく時に伸子さんが

「領収証、どうしますか?」

と尋ねてくれて、ぼくが

「複写じゃない方で(つまり複写でない領収証を切って申告外にすること)と答えて、複写の分も複写でない分もいっしょくたんにしていたのだ。

その時の気分で敵当に割り振って、まとめて現金で金庫に保管していた。

名古屋の三菱信託銀行の行員さんが定期的に事務所に来てくれたので、金庫に入っている現金をまとめて集金してもらっていた。

数十万の現金を持って近くの銀行に預けに行くのは危険だと思ったし時間のロスだったので、これはまさに”わたりに船”だった。


常日頃から、顧問税理士さんから、

「まあ、法律事務所には税務調査はこないでしょうがねえ」

と言っていたのを信じ切っていたのだ。


慌てたぼくは、日頃から親しくしていた山崎司法書士先生を通じて仲良しになった、私的なお付き合いのある税理士の中野先生に相談した。

「名古屋の三菱信託銀行でしょう。大丈夫ですよ。もっと近くの銀行に預けていてもバレることは滅多にありませんから。税務所だって忙しいですから、全国の銀行に荘司さんの名義の口座があるかどうか問い合わせると思いますか?」

中野先生の言葉を聴いて安心した。

中野先生の指摘通りひととおり税務調査は終わって、手違いと見解の相違(ロータリークラブの会費を経費にするかどうか等)で多少のお土産を持って行かれたが、ぼくはホッとした。


一安心したある月曜日。

例の彼女(Mさん)が伸子さんを連れてぼくの机の前に来てニヤニヤしながら「退職届」を差し出した。

驚いたのは、な、なんと伸子さんまで一緒になって「退職届」を出してきたことだった。

伸子さんに事務をすっかり任せっきりにしていたので、彼女に辞められると事務所機能は完全にパンクしてしまう!

慌てたぼくが2人に理由を尋ねると、Mさんが

「もう、荘司くんところでは働きたくないの」

「確かに時給が安いのは申し訳ないと思うけど・・・時給だったら考えてもいいよ」

「そうでなくて、三菱信託銀行にあるお金が気に入らないのよ。悪いことしておいて平気な顔してるのが気に入らないの」

「それは、中野先生の指導に従って少しずつ払っていくことになってるからそのまま溜め込むつもりはないよ」

「ともかく、今週いっぱいで2人とも辞めさせてもらうから」

「・・・あまり言いたくはないけど、法律的には1週間では退職できないことになっている」

「そういうところが嫌なのよ!私の旦那は三流企業の社員だから私が働かなきゃいけないの。仕事すぐ探さなきゃいけないの。法律なんて持ち出さないでよ!」

「伸子さん・・・君も同じなの?」

「・・・はい」

「わかった。ただ、今月中だけはいてくれないか。Mにも10万円の退職金を支払うから。もちろん、伸子さんはとてもよくやってくれたのでできるだけたくさんの退職金を支払うつもりだ」


ぼくは完全に困ってしまった。

何もかも事務処理を伸子さんに任せてしまっていた自分が甘かった。

これでもう事務が回らなくなってしまう。

どうしよう・・・と悩んでいる最中に、税務署の調査員から電話があった。

至急会いたいというので事務所に来てもらったら、銀行への反面調査をするという(「反面調査」というのは銀行に対して口座の有無や残高を税務署が照会すること)。

もう終わったはずの調査がどうしてまた?

ぼくは完全にうつ状態になってしまった。


事務所には急きょ家内に来てもらうようにして、娘は延長保育にして帰りの迎えはぼくがすることにした。

三菱信託銀行の担当者に事情を話すと、電話が課長らしき人に変わって、

「他県の税務署から照会がくることは滅多にありませんが、全くないとは断言できません。お隣の住友信託銀行で、一度他県の税務署から照会があったそうですから」

とのことだったので、万一照会があったら電話をもらえるように頼んでおいた。


精神的に疲弊したぼくは相当ひどい顔をしていたようだ。

松阪の裁判所で相手方になった弁護士さんから

「先生。ずいぶん顔色が悪いけど、どうかしたのですか?」

と尋ねられる始末だった。


娘を迎えに行くようになって数日後、帰宅したとたんに三菱信託銀行の課長から電話が入って、伊勢税務署から照会が来たと告げられた。

思わず”えずいて”しまったぼくを見て、幼い娘がティッシュの箱を抱えて走ってきてくれた。

中野先生にその旨伝えると、

「人を疑うこのはいけないことだけど・・・Mさんが税務署に銀行名まで話したとしか考えられないですね~」

「そうですか・・・身から出た錆ですが、先生に税務署との話し合いをお願いできますか?先生に任せた結果ならどんなことになっても納得できます」

「荘司さんとの仲だから精一杯やらせてもらいますよ。ただ、顧問税理士の先生にはひとこと言っておいて下さいね」

ということで、顧問税理士の先生にはキリのいいところで顧問契約を解除してもらうことにして、中野先生に税務署対策をお願いした。

脱税額がわからないまま、双方で協議して決められた方法で税金を支払うということで決着がついた。


伸子さんについては、山崎先生が、

「おそらくMさんにいろいろ言われて付いていっただけだよ。きっと彼女は辞めずにすみますよ。ぼくの事務所で手伝えることがあったら何でも遠慮なく言ってきてね。事務的なことでできることがあったら何でも手伝うから」

と励ましてくれ、その心遣いに涙が出そうになった。


Mさんが辞めていってから、事務仕事は家内と伸子さんが2人でやることになった。

事務の引き継ということだが、到底、家内が伸子さんのやってきたことをすべて把握できるとは期待できなかった。

考えてみれば、他の先輩弁護士の事務所に遠慮して伸子さんの月々の給料はとても安かった。

ボーナスだけは、一流金融機関に引けをとらないくらい支払うようにしてきたけど。

彼女の能力と努力を考えれば、ぼくはずいぶん甘えていたということをしみじみと実感した。

自業自得だ・・・と反省する毎日を送っていたら、結局伸子さんは辞めずにいてくれることになった。

「先生の苦しそうな顔を見ていると、とても放り出せません」

と家内に言ってくれたそうだ。

心からほっとしたぼくは、伸子さんの給料を上げることと、彼女の負担を減らすために家内が事務所でフルタイムで働くことにして、本当に長い苦しみの日々を終えることができた。

何より、伸子さん、山崎先生、中野先生・・・その他、西村くんや福田くん、河井くんをはじめ励ましてくれた元同級生たちの優しさに、深く感謝する気持ちになれた。

悪いことをしていたにもかかわらず、精神的に助けてくれた人たちの優しさには本当に涙が溢れた。


しかし、その頃から、ぼくにはうつ症状が現れるようになった。


(つづく)


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