今回は、「冤罪と裁判」(今村核著 講談社現代新書)をご紹介します。


著者は、冤罪に詳しい弁護士で自らの経験や資料に基づいて本書を書いたとのことです。


私は、以前から「自白に基づいて裏付け証拠となる物証を集める」というストーリー式捜査が冤罪を生むと考えていました。

著者も同じ考えです。


まず、なぜ被疑者は「やっていないこと」を自白してしまうのでしょう?


身柄拘束と長時間にわたる取り調べ(恫喝などもあり)の中で、一刻も早くこの状態から逃れたい一心で自白するケースが多いのです。

もちろん、犯行状況については、やってないからわからないのですが、そこも捜査官があれこれヒントを与えたりして整合性のある調書に仕上げていきます。


目撃証言というのは、実にアテになりません。


顔面認識能力には個人差もありますし、何枚かの写真を見せる場合のチョイスのまずさ、一度「この人が犯人だ」と捜査段階で言ってしまうと、法廷でも首尾一貫した行動をとろうとしてしまいます。


物証も、捜査機関のストーリーに沿った物証が重視されてしまいますので、無罪を証明するような物証は無視されたり隠匿されたりします。


情況証拠については、個々の証拠の信用性と総合的な信用性をしっかり判断しなければならないところ、それがなされない場合があります。


日本の裁判官は、事件を”たくさん処理する”ことが出世の条件ですので、細かな検討を必要とし、かつ書き慣れていない無罪判決を書こうとしない傾向があります。


裁判員制度については、あまりにも「裁判員の負担の軽減」を重視し過ぎて誤判をまねかないようにすべきであることは言うまでもありません。

裁判員裁判は否認事件に限るというのは、とても有効な施策だと思います。



冤罪発生の原因としては、本書で緻密に書かれています。

刑事手続で冤罪が発生するきっかけを知りたい方にとっては、とても有益な一冊でしょう。


刑事裁判官が無罪判決を書きたがらないという点については、面白い個人的な経験があります。

私が司法修習生の時、実務修習の総仕上げで模擬裁判を行いました。

私は、講評会で指導教官たちから絶賛していただいたほどの弁護をやったのですが、結果は有罪になりました。

裁判官役の修習生たちに後で聴いたところ、

「だって、無罪判決、書いたことなかったからなあ」

という、模擬裁判だったからこそ笑える話がありました。


本書は、冤罪というものを巡って鋭い考察をしています。

しかし、本書を読んで、警察の取り調べや証拠収集が”常にこのようなもの”だと誤解はしないで下さいね。

ほとんどの警察官諸兄は、正義を守るために日々働いているということを決して忘れないで下さい。


冤罪と裁判 (講談社現代新書)/講談社
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