児童虐待には、身体的暴力、性的暴行、ネグレクト、言語的暴行の4種類があります。


ニュース等では、悲惨な結果が生じることが多いため、身体的暴力、もしくは食べさせない、世話をしないなどのネグレクトが盛んに取り上げられていますが、性的暴行や言語的暴行も、実際にはとても多いのです。


日本では、「はじめてのおるすばん」という絵本(3歳の女の子を家で一人にしてお留守番をしてもらうこと)がありますが、カナダではこのような内容は到底社会が受け入れないということです(典型的なネグレクトとされて)。


はじめてのおるすばん (母と子の絵本 1)/岩崎書店
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性的暴行はあまり表面化しませんが、かつて私が無料ネット相談をやっていたとき、娘が祖父や叔父から性的暴行を受けて困っているという内容の相談がとても多かったのには本当に驚きました。


虐待をしてしまう親は、過去に自分自身が虐待された人、ストレスや危機感に見まわれている人、社会的に孤立して援助者のいない人、子どもが自分の意にそわない、というのが典型です。


世代間連鎖という悲しい事情もありますし、学業成績が親の期待に添っていないということで虐待される子どももいます。


教育熱心な親は、とかく「子どものため」というタテマエで子どもを物理的、言語的な暴行を振るいがちですが、これもれっきとした虐待です。

ひどい言葉を浴びせ続けられると(バーバル・アビュース)、子どもは「見ざる」「聞かざる」「言わざる」になってしまうのです。

ひどい言葉や会話をしたくないから、そういう器官が未発達になるのです。

結果的に、他人とコミュニケーションを取ることが困難な人に育ってしまうケースも少なくありません。



多くの親は、「躾だ」「こんなことは昔からあった」などと言って自分の行為を正当化しようとします。


児童相談所は、所長の判断で、披虐待児童を「一時保護」することができますが、環境変化に戸惑う子どもが帰宅したがたり、司法的チェックのない身柄拘束という問題があります。


家庭への立ち入りも、警察の援助を受けることができますが、DV防止法のように警察が積極的に関与してくれるものではありません。


児童相談所は、職員が少ない上、多くの職員が専門職ではない役所の人事異動の一環としてきています。

ある意味とても貧弱な組織であって、到底、国民の期待に応えられるような組織ではありません。


なぜ、児童相談所にもっと予算が振り向けられないかというと、極めて単純なことで、選挙の票に結びつかないからです。


こうして、児童虐待は増大していき、将来的にも増えていくことでしょう。



本稿は、2006年発行の「児童虐待」(川崎二三彦著 岩波新書)を参照して書いています。


児童虐待―現場からの提言 (岩波新書)/岩波書店
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この本を買った当時、私は児童虐待の急増に危機感を抱いていました。

特に、友田明美医師が「披虐待児童の多くは脳の一部に発達障害が生じる」という実験結果を述べた「癒やされない傷」を読んでから、将来社会に対する不安と焦燥が募るばかりでした。


いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳/診断と治療社
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はたして、私たちの子どもや孫の世代の社会はどうなってしまうのだろう?


凄まじい人間社会になってしまうのではないだろうか・・・という危機意識を持ちブログ等で発信してきましたが、残念ながら反応は「統計を取りだしてから10年程度だから従来は認知されなかっただけだ」という冷淡なものが多かったと記憶しています。


楽観的なほのかな期待を裏切り、児童虐待件数はその後も伸び続けました。


http://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_soc_tyosa-jikenchildren-casualties



何卒、政治家のみなさん、政策担当者のみなさん、現実を直視して下さい。

子どもの数だけが多くなればいいという安易な考えは捨てて下さい。


将来世代に身を捧げる覚悟を持って下さい。


私は、切に祈っています。