本日は、「高学歴女子の貧困」(大理奈穂子他3名著 光文社新書)をご紹介します。


本書は、次の5章で構成されています。


1章 どうして女性は高学歴でも貧困なのか

2章 なぜ、女性の貧困は男性より深刻化しやすいのか?

3章 女子の高学歴化は、彼女たちと社会に何をもたらしたのか?

4章 女は女というだけで貧乏になるのだ

5章 「アート系高学歴女子」のなれの果てとして、半生を顧みる


1章では、2人の女性博士が自らの貧困について語っています。

正規雇用制度に乗れていないがために、ぎりぎりの生活をしている実態を紹介しています。そして、彼女たちの貧困問題が制度上の不備にまつわるものであるとしています。


2章では、アカデミアという独特の世界で働く才女たちが、男性よりも不遇な扱いを受けているという事実を、客観的データをもとにして解説しています。

本章では、「知性や教養を磨きすぎた女性は、それを隠そうとしても隠しきれずない。だから、もし目の前にいる男の無教養を一カ所でも見つけたら・・・男はバッサリ瞬殺され、一方の女は胸の内でまた落胆することになる」という、男性にとっては怖い話が入っています。


3章では、明治期に急速に高まりだした「女子への(高等)教育熱」が、現在までにどのような「女子教育の流れ」をつくりだしたかを概観しています。

明治期から高まった「女子への(高等)教育熱」というのは、つまるところ良妻賢母を生み出すことを主眼としているもので、夫をバックアップするための教育だったと解釈しています。女性の自立に向けた西欧の教育熱とは全く異なる性質のものであったことを、具体例を挙げて説明しています。


4章では、著者の一人である栗田氏が3代にわたる家族の歴史~祖母が大卒、母が高卒、本人は阪大院卒~に触れながら、女性が日本の男性社会の中で独力で生きていくことの現実と厳しさを訴えています。


5章では、著者の一人大野氏(東京芸大卒)が、20年続けたアーティスト活動に見切りをつけて文筆活動の取り組んでいること。夫も塾の講師で非正規社員であるため貧乏ではあるが”貧困”ではないということを書き、女子が学歴を身につけることへの確かな希望を示します。



本書を読んで、まず私が思ったことは、本書の対象が特殊すぎて真に知りたいことが書かれていないということです。学会と芸術大学のみが主な対象になっており、総合職として会社に勤務した女性や、法曹界、官界などに進んだ女性たちのことが全く書かれておりません。

本書の執筆に唯一関わっている男性である水月氏にしたところで、学会で正規のルートに乗れずに悲惨な思いをしているということが書かれています。

本書を読んで唯一得るところがあったとしたら、娘には研究職に行かないよう説得できる材料になったということくらいでしょうか?


高学歴女子の貧困 女子は学歴で「幸せ」になれるか? (光文社新書)/光文社
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