今回は、「ヒューリスティックス」というものについてご説明し、その対策について考えてみたいと思います。
私たち人間は、何らかの判断を下すときに様々な推論(演繹的推論や機能的推論)を用いて結論の導いていると考えるのが論理的です。
しかし、私たちが日々の生活の中で何らかの判断を下す際に依拠しているのは、論理だてた推論ではなく経験則でなのです。
これは単純な心的ショートカット(論理的推論という道を通らずに近道をすること)であり、この経験則のことをヒューリステックスと呼びます。
たとえば、あなたがスーパーで今まで買ったことのないスパイスを買うとき、細かな成分表示を比較することなく、よく知られているブランド名のものを買うのではないでしょうか?
たかだかスパイスひとつを買うのに、よくわからない用語も入っている成分表を比較検討する時間も傾向もないので、「まあ、よく知られているブランド名のものなら間違いはないだろう」と思って買ってしまうのです。
このように、今まで使ったことのないものを買うときでも、他の商品で使っているブランド名やCMに頻繁に登場するブランド名を、一種の経験則として細かな調査をすることなく採用する判断を下してしまいます。
時間を費やして面倒な比較調査をした上で判断するよりも、「ブランド名が寄り望ましい」とうヒューリステックスに依拠してしまうのです。
もっとも、このようなヒューリステックス処理は、速さと単純かのために正確性を犠牲にしてしまいますので、時として思考の誤りを生じさせてしまうことがあります(これを「速さと正確さのトレードオフ」といいます)。
このようなヒューリステックスは、本来慎重な推論が必要な場面でも用いられてしまうのです。
刑事裁判官が、被告人を「検察官が起訴したのだから有罪だろう」というヒューリステックスを無意識的に用いていることは決して珍しいことではありません。
余談ですが、そのような裁判官は最初の一言で見分けがつきます。
「被告人は証言台の所に出て下さい」
と、本来は言うべきであるのに(刑事訴訟法では有罪判決が確定するまでは被告人は無罪と推定するという「無罪推定原則」があるからです)、
「被告人は証言台の所に出なさい」
と、あたかも犯罪者と決めつけているように命令口調をする裁判官を、私はたくさん見てきました。
話を戻しましょう。
われわれ人間は、最初、試行錯誤を通してヒューリステックスを作ります。
繰り返し試行錯誤を繰り返していく間に「わざわざ最初からやり直す」とい負担から自らを解放するためにヒューリステックスが形成されます。
よくよく考えてみて下さい。
日常生活では様々な決断に迫られます。
そのひとつひとつを熟慮していたのでは、われわれの日々の生活が成り立っていきません。
小さな子どもが物を選ぶときにあれこれ考えるのは、まだまだヒューリステックスが十分形成されていないからです。
このような、ヒューリステックスは一般的に、「代表的ヒューリステックス」「利用可能ヒューリステックス」「停留ヒューリステックス」の3つに分類されます。
本日は、「代表的ヒューリステックス」についてご説明し、それに対する対応方法を考えたいと思います。
「代表的ヒューリステックス」は、先にご説明したヒューリステックスと同じだと考えていただいてけっこうです。だから「代表的」という形容詞が用いられています。
以下は、以前、書籍の紹介でも出した例です(タネ本がばれますね)。
A氏の経験則(つまりヒューリステックス)が次のようなものであるとしましょう。
「数字を扱うのが得意だという男性は会計士や税理士だ」
「音楽が得意だという男性は音楽家だ」
ある町の成人男性の75%が会計事務所で働いているとします。
それを、A氏も知っています。
A氏がその町で会った男性が「私は音楽が好きだ」と語ったとすると、A氏は「彼は音楽家」だと思い込んでしまうようです。
確率的に考えれば、その男性が「音楽を愛する会計士」である確率のほうがはるかに高いにもかかわらず。
このように、ヒューリステックスは、確率さえも凌駕してしまうものなのです。
かくも人間の心の中で確立された経験則(ヒューリステックス)は、強力なものなのです。
では、このように強力なヒューリステックスをクリアして、説得を成功させるにはどうしたらいいのでしょうか?
相手のヒューリステックスが、あなたにとって都合のよいものであれば、何ら問題はありません。
たとえば、従来からP社の家電製品を好んで使っている人に、同じP社の製品を買うよう説得することは極めて容易です。
しかし、相手のヒューリステックスがあなたにとって最悪的なまでに敵対的なものであったとしたら、説得どころの騒ぎではないかも知れませんよね。
ここでも、まず、私自身の経験談から引用してみましょう。
ある日、市役所の法律相談に出向いていた時のことです。
法律相談の申込みをしようとしている人たちに向かって
「弁護士なんかに相談するんじゃないぞ!弁護士なんて金ばっかりとって親身になってくれることなんかないんだから!ろくな人種じゃないぞ!」
と大声で怒鳴っている人がいました。
担当の職員さんは困っていましたが、私自身は「しめしめ、これで今日の相談者は定員の8名を切ってくれるかも知れない」と不謹慎なことを考えていました。結局しっかり8名になってしまって、私の期待ははかなくも崩れてしまいましたが・・・。
それから約1ヶ月後、市役所の法律相談に出向くと、担当者が困った顔をして
「例の弁護士を非難して騒いでいた人が、相談の予約を入れているのですよ」
と私にささやきました。
「え、あの人は弁護士に相談なんてしちゃいけないという人でしたよね~」
「ところが、裁判所から通知が来たから仕方がないと言って相談予約を入れてしまったのです。狭い相談室で厄介があってもいけませんから、適当な理由をつけて断りましょうか?」
「いえ、市民である以上それはまずいと思います。怒鳴るくらいでしょうから、何とか乗り切りますよ」
と言って、私は”大の弁護士嫌い”の人の相談を受けることになりました。
彼の番になったので、私は、
「石田さん(仮名)、どうぞお入り下さい」
と言って仏頂面の石田さんを相談室に招き入れました。
「こんにちは、石田さん。今日は『裁判所から書類が届いた』と書かれていますが、書類はお持ちですか?」
と、いつもの銀行員時代の癖が直らない満面の笑顔で話しかけると、石田さんは無言で鞄の中から書類を取り出して私に無造作に渡しました。
「ありがとうございます。中を拝見してよろしいですか?」
というような、これまた銀行窓口応対を続けていると、次第に石田さんの表情が変わってきて、初めて口を開きました。
「あなた、弁護士さん?普通、弁護士ってそんな話し方しないだろう。もっと威張ってるし、こちらの言うことも聴かないし・・・。私が会った弁護士とは全然違うじゃないか」
「それはそれはお気の毒でしたね~。よほど悪い弁護士に当たったのでしょう。私はいたって普通の弁護士ですよ」
と説明すると
「弁護士さんにもいろいろいるんですなあ。いや、私は弁護士ってああいう人ばかりかと思ってました」
と、石田さんの態度が、紳士的な話し方に変わってきたのです。
相談が終わって最後に、
「嫌な経験にこだわりすぎました。これからは弁護士さんを見る目を変えます」
と上機嫌で言ってくれて、帰られました。
長々と余談を書いてしまいましたが、人間のヒューリステックスはあくまで経験則なのです。
この例の石田さんは、「弁護士→傲慢で高圧的で鼻持ちならない人種」というヒューリステックスを持っていたのを、限られた時間ではありますが、ゆっくりと解きほぐして悪しきヒューリステックスを消していったのです。
ヒューリステックスは、判断までのショートカット(近道)に過ぎません。
そのショートカットが必ずしも正確でないことを、じっくり説明すればいいのです。
先のP社の家電製品ばかりを好む人にS社の製品を勧めるのであれば、
「確かにP社は冷蔵庫や洗濯機のような白物家電は優れています。しかし最近のテレビは高度なエレクトロニクス製品ですので、その点に長けたS社の製品をお勧めします」と言いながら、現実に両社の製品を比較して画面の美しさなどを見てもらうという手があります。
要は、ヒューリステックスは、判断に至るまでの思考の近道ですから、近道を通らせずに、実証的、論理的に対応していけばクリアできるものなのです。
え?
有罪の心証をヒューリステックスで持ってしまった裁判官をどう説得すればいいのか?ですか。
被告人の服装や容貌を出来るだけよくして、受け答えにも誠意を示させ、冒頭陳述で「ご高承のとおり、無罪推定の原則という大原則に従えば・・・」と、無罪推定の原則を何度も口にして、裁判官の初心に訴えることです・・・かね(^^;)