本日は「司法権力の内幕」(森炎著 ちくま新書)をご紹介します。


本書は、著者の趣味・嗜好のせいで、随分哲学的な用語が出てきます(「あとがき」で、もともとの原稿中の社会思想・現代思想の部分を思い切って削った。と書かれていますが、耳慣れない用語が頻出します)。


本書で著者が一貫して主張しているのは、個々の裁判官は裁判所パノプティコンにとらわれた「司法囚人」であり、思考から行動まで支配されているというものです。

パノプティコンというのは、フーコーの名付けた「規律権力」のことであり、その作用は、無根拠服従性、無内容性、反射的反応性であるとしています。


私なりに平易に解釈すれば、裁判所という特殊な世界に入ってしまうと、知らないうちにその世界の特殊な空気に溶け込んでしまい、誰に命令される訳でもないのに、その世界のしきたりのようなものを無批判で受け入れるようになってしまう、ということではないでしょうか?


例をあげると、刑事訴訟法をかじったことのある人なら誰しも奇妙に感じることですが、実際に「逃亡」「証拠隠滅」の危険が全くないにもかかわらず、勾留請求を受けた裁判官は99%の確率で勾留決定を出してしまいます(いったい何のための勾留質問でしょう?)。

また、起訴された被告人でも、自白した被告人は容易に保釈が認められるにもかかわらず、否認を続ける被告人にはほとんど保釈は認められません。


この点については、ライブドア事件で否認を続けた堀江氏は保釈が認められなかったにもかかわらず、かの村上氏は早々に罪状を認めたためにすぐに保釈されました。

(当時、この歪んだ司法制度を皮肉って「村上さん早かったねえ」という題名のブログを書いた憶えがあります)


また、自白の強要は法が厳に禁じているにもかかわらず、自白を取るための非人間的な扱いを許してしまう「代用監獄」制度を、裁判官は疑問を持つことなく認めてしまうという指摘もなされています。

(「代用監獄」制度とは、本来、被疑者等は警察とは異なった拘置所で勾留すべきであるにもかかわらず、非人間的な、長時間ぶっ続けの取り調べや深夜に及ぶ取り調べが可能な警察署内の拘置所で勾留するという国際的にも厳しく批判されている制度です)


私たち弁護士が、常日頃から

「憲法や刑事訴訟法の理念に反しているのではないか!」

と考えている前近代的かつ非人道的な制度運用を是としてしまう日本の裁判所は、到底「人権の砦」ではないとも著者は指摘してます。



本書を読んで、私が最初に感じたのは、この著者自身が若干変わった性格であるということ(著者自身も認めている脳の病のせいかもしれません)と、裁判所をあまりにも自虐的な視線で見ているということでした。

もっとも、読み進んでいくうちに、本来の憲法、刑事訴訟法の理念からいかに日本の刑事司法が歪んだものになっているのかを痛いほど実感できるようになってきました。


アメリカの裁判物の映画やドラマでは、逮捕された容疑者が当たり前のように保釈で釈放されていく様子が頻繁に出てきます。

日本の法律でも身柄拘束は例外なので、本来このような運用がなされるべきなのですが、素人の人でも”逮捕されれば身柄拘束が当たり前”だと思ってしまう、つまり原則と例外を逆だと思ってしまうほど、日本の刑事司法は歪んでいるのです。


最近、元裁判官の内部告発的な書籍が他にも出ています(持っていますが、まだ読んでいません)。

ブラックボックスと化した裁判所内部に光を当てたという点で、有意義な一冊と言えるでしょう。


司法権力の内幕 (ちくま新書)/筑摩書房
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