私が弁護士になりたてで、事務所を開いたばかりのことでした。
その頃の私はものすご~く暇で、電話も鳴らないし、来訪者もありませんでした。
いっそのこと、ヤクザでも来れば面白いのに・・・なんて、冗談のようなことさえ考えていました。
しかし、銀行員時代に営業をやっていたせいか、ただ待っている、というのに耐えられず、営業活動に出ることも多かったです。
当時のイエローページで、司法書士事務所や税理士事務所を調べ、飛び込みで行っては、
「この度、法律事務所を開設いたしました弁護士の荘司です。今後ともよろしくお願いいたします」
と名刺を置いてくるのです。
事務所の先生が出てきてくれるのはまだいい方で、大抵は、事務員さんが「お預かりします」と言って名刺を受け取ってくれました。
私の事務所が入っていたビルのオーナーが、隣接しているウイークリーマンションも持っていたました。
私の事務所が丸見えのウイークリーマンションの部屋の滞在者から、
「あそこは、何をやっているところですか?事務所に人がいるときは、ず~と、本ばかり読んでいますが」
という話があったとオーナーから聞きました。
今から思うと、賃料の支払いが心配で、さりげなく探りを入れてきたのかも知れません。
そんなある日、某弁護士さんが「自分は立場上受けることができない事件」ということで、紹介してくれた離婚訴訟の男性(木村さんとします)が訪れました。
歌手の吉幾三を少しキリリとしたような顔の木村さんは、妻から離婚訴訟を起こされたのです。
「ということは、調停は不成立だったのですね」
私が尋ねると、
「ええ、私は今でも妻を愛しています。調停で離婚に応じるつもりはありませんでした」
木村さんは、視線を下に落として絞り出すような声で答えました。
「奥さんの離婚意思が固いということで、調停不成立となった訳ですか・・・」
「でも、先生。妻も、私を愛してくれていると思うのです。姑との同居がどうしても耐えられなかったのです。姑、つまり私の母は、心臓に病があって、いつ発作が起こるかわからないので、一人にしてはおけないのです」
「奥さんが、いまだに木村さんを愛しているというのは、奥さんご本人の口から聴かれたのですか?」
私がそう尋ねると、木村さんは持っていたセカンドバッグから手紙らしきものを出して、私に見せてくれました。
「一昨日、届いたものです」
「拝見します」
と言って、私は手紙の内容に目をとおしました。
手紙の内容は、概ね次のようなものでした。
私のあなたへの愛情は、結婚したときから微塵も変わっていません。いえ、結婚してからの方が、あなたの優しさがしみじみと伝わってきて、今の方が、もっともっと、愛しています。すべては、私が至らなかったのです。本当にごめんなさい。ごめんなさい。武にとっては、これからもいいお父さんでいて下さいね。そして、こんなことまでしてしまったのに、わがままだとは承知してますが、たまには私とも会って下さいね。
私は、この手紙を読んで、何とも表現できない悲しみを覚えました。
いかな理由があるとしても、愛し合っている夫婦が別れなければならないのだろうか?
幼い子ども(武くん)は、将来どう思うのだろうか?
木村さんは苦渋の表情を崩さず、涙をこらえているようでした。
「そんなに、奥さんとお母さんの仲は悪かったのですか?」
「女同士のことは、私のような不器用な人間にはよくわかりませんでした。表だって口論することもありませんでしたし、どちらも私に不平不満を漏らすこともありませんでした。私がもうちょっと、二人の関係に気を配っていたらと、後悔してもしきれない気持ちです」
「わかりました。ともかく応訴しましょう。裁判所から届いた訴状や呼び出し状はお持ちですか?」
「はい、ここに」
と言って、木村さんは、裁判所の封筒ごと私に預けてくれました。
委任状に署名・捺印をしてもらい、私は早速、答弁書の作成にかかりました。
裁判では、どうしても離婚したいという原告である妻と、離婚はしたくないという木村さんの態度が固かったため、原告と被告、つまり妻と夫の本人尋問を行うことになりました。
本人尋問の期日までの間、私は何度となく木村さんと面談し、
「今の離婚訴訟では破綻主義が主流であり、一方がどうしても離婚したいと主張し、絶対に元には戻らないという場合は、いたずらに戸籍だけで夫婦関係をつなげておくことはしなくなっている」
ということなどを話しました。
木村さんは、
「先生のいう裁判所の傾向というものはよくわかります。でも、一人息子の武に、私が簡単にお前を手放した訳ではないということを、先々わかってもらいたいのです。できるだけのことはやっておきたいのです。父親として、家庭を守るために全力を尽くしたということを残しておきたいのです」
と、訴えました。
「木村さんのお気持ちはよくわかりました。私も全力で戦います」
と、私も気持ちを固めました。
私は、木村さんと会うたびに、木村さんが素晴らしい人柄で、優しい心根を持った好人物だということを実感するようになりました。
迎えた本人尋問期日。
尋問では、双方弁護士とも、相手本人に大きな非がないことを承知していたためか、いずれも淡々と終わりました。
双方本人尋問が終わり、裁判官が和解の勧告をしました。
私は木村さんと相談し、和解のテーブルに着くことにしました。
想定してはいましたが、離婚で合意、幼い武くんの親権は母親に、養育費は月3万円、慰謝料等はなし、ということで、和解(調停)が成立しました。
慰謝料等の支払いを相手方が請求しなかったのは、おそらく奥さん本人の意向だったのだと私は思いました。
本人尋問で、自分の思いを全てはき出した木村さんは、全てが終わった後は意外にさばさばした感じでした。
「前向きに生きていこうと思います。裁判までいきましたが、それがきっかけで先生と知り合えてとてもよかったです」
涙が出そうなことを言ってくれた木村さんに、ただただ幸あれと願うばかりでした。
日本の少子高齢化はますます勢いを増してきます。
現在でもたくさんありますが、介護を理由とする熟年離婚が急速に増加していくような気がしてなりません。