知人の紹介で、息子さんの交通事故について50前後の男性が相談にみえました。


内容は、概略次のようなものでした。


23歳の息子(倉本くんとします)が、信号待ちで止まっていた前の車に、自分の運転する車をぶつけ、前の車に乗っていた2人を死亡させ、1人に重傷を負わせてしまった。

倉本くんは、カーオーディオの具合がおかしかったため、そちらに目をやっている間に、前方の車に自車を衝突さるという一瞬の出来事だった。

飲酒や居眠りなどはないが、制限速度60キロのところを、約80キロで走っていた。

(もっとも、この道路は広くて車線も多いことから、時速80キロ以上で走る車がほとんどで、実際、私自身もこのくらいの速度で走らないと流れに乗れず、かえって危ないということを知っていた)

被害車両は軽乗用車で、ブレーキをかけるのが遅れたため、後部から大破した。

事故後、被害者ら宅に息子を連れて謝罪に回ったが、すべてインターフォンだけで追い返された。

近く、刑事裁判が開かれることになったので、弁護人になってほしい。



2人死亡で1人重傷か~。

これは、まず実刑は間違いないだろう。

いかにして、刑期を短くするかが勝負だなあ。

民事賠償は任意保険に任せるとしても、今の状況ではまず民事和解も無理だろうな。


私は、そんな事を考えながら倉本氏に話しました。


「今回は、ご子息は間違いなく実刑になると思います。刑期を少しでも短くするために、私がこれから指示することを守っていただけますか?」

「は、はい」

倉本氏は、苦渋で歪めた顔で頷きました。


「まず、ご子息と一緒に、被害者ら宅を、裁判の日まで毎日尋ねて下さい。追い返されてもくじけずに。次に、倉本さんには情状証人として法廷に出ていただきます。尋問の練習は公判の日の前日か前々日に、ご子息と一緒にやりますので、安心して下さい。最後に、ご子息が勤めている会社の社長は私の知人ですので、私が社長にご子息の嘆願書を書いてもらうようにします」

「被害者ら宅なのですが、毎日伺っても、絶対に会ってはくれないと思います。それでも行かねばなりませんか?」

「会ってくれなくとも、毎日足を運んだということが重要なのです。反省と謝罪の気持ちを常に持ってできるだけのことをするのが、情状酌量という面での評価につながりますから」

「わかりました」

「それから、被害者ら宅に行ったとき、ご子息直筆のお詫びの手紙を、予めコピーしておいてから、毎回ポストに入れてきて下さい。もちろん、郵便で送っても構いませんが、毎日必ず送るようにして下さいね」

「そのようにします。息子にも誠意をもって書くように伝えます」

「よろしくお願いします」


私は、倉本くんの弁護人として、被害者ら宅を回ってみましたが、対応は倉本氏が言ったのと同じ、インターフォンで追い返されました。


裁判当日。


情状証人の倉本氏に対して、検察官は厳しい態度で臨んできました。


「もし、将来、運転免許がとれるようになったら、被告人(倉本くん)が免許をとることを、あなたは許しますか?」

「はい。息子はまだ若いですし、東京や大阪と違って、この地域では運転免許がなければ仕事に就くこともできません。運転免許は必要だと思います」

それを聴いた検察官の顔が、にわかに赤みを帯びた厳しい表情に変わりました。

「あなたという人は!本件の重大性を認識していないのですか!尊い命が2つも失われ、残りの1人も後遺症が残るような大怪我なのですよ!そんな事故を起こしているというのに、あなたは被告人に、将来免許証を取らせるつもりなのですか?また運転させるというのですか?あなたは父親でありながら、被害者らに対して申し訳ないという気持ちを、まったくもっていない!」


検察官の言葉を聴き、

「検察官は自分の意見を押しつけています。これは質問ではありません」

と、私が異議を述べようとしたとき、検察官の顔がしきりに傍聴席に向いているのに気がつきました。

傍聴席には、被害者の遺族や家族が来ていたのです。


本件とは無関係ですが、以前に次のようなことがありました。

6人がかりで、1人の被害者を死にいたらしめたという事件で、私は佐藤という被告人(仮名)の弁護人になりました。

法廷で、私が佐藤くんをかばうような発言をしました。

すると、次回法廷で、検察官が次のような調書を証拠として提出してきました。

「前回の法廷で、佐藤の弁護士が、私に息子にも落ち度があるような発言をしました。その時立ち上がって叫びたくなりましたが、検事さんが目で制してくれたので、何とかひかえることができました」

つまり、正当な弁護活動であっても、被害者家族にとっては気持ちを”逆なで”されるようなことが多々あるのです。


この経験から、本件で異議を述べたり、検察官の被害者らの代弁とも考えられる発言に反駁して、いたずらに被告人側を庇ってしまうと、

「被告人の父親は全く反省していません。弁護士の異議で助けられたときは、私たちは本当に悔しい思いをしました」

などという内容の被害者らの供述調書でも出さかねません。

そうなると情状で不利になるのは目に見えています。

ここは我慢のしどころだ、倉本さん、そして倉本くん、がまんしてくれ、と、心の中で祈ることにしました。


倉本くんの被告人質問では、倉本くんは反省と謝罪のあまり、泣きっぱなしでしたが、検察官の追及はやわらぎませんでした。


「あなたがどれだけ泣いたって、被害者が生き返るわけでも、大怪我が治るわけでもないのですよ!ここで泣くくらいなら、どうしてわき見なんてしてしまったのですか?取り返しが付くなんて、万にひとつでも思っていたとしたら大間違いです!」


検察官の論告・求刑も厳しいものでした。

「被告人には同情の余地は全くない。よって、被告人を懲役3年6月に処するべきと思料します」


私は最終弁論で、次のように述べました。

「被告人は23歳と将来のある若者で、仕事も真面目にやっております。家庭的にも円満であり、今まで非行に走ったことなど一度もありません。本件事故後も、父と共に毎日被害者ら宅に謝罪に通いつめ、弁○号証から△号証のように、毎日謝罪文を届けております。そもそも本件は、被告人のカーオーディオの不具合に気を取られて一瞬、たった一瞬、目をそらせてしまったことが原因であり、過失の程度は極めて低いものであります。不幸にして、被害者らの乗っていた軽乗用車は○年式の△という車で、車体が弱いことから現在は販売されておりません。もしも、もしも、普通乗用車であれば、本件のような悲惨な結果は間違いなく防げたことでしょう。被告人を刑務所のような矯正施設で処遇するのは、ご承知のように、いわゆる悪風感染をまねくだけで、被告人の更正にとって逆効果であります」

という趣旨のことを述べ、執行猶予判決を求めました。


判決は、懲役1年の実刑でした。

求刑よりも随分軽くなったものの、若い倉本くんを(交通)刑務所に送る結果となり、私の気持ちは沈みました。


その時です。

倉本くんのお母さんが慌てた様子で法廷に戻ってきて、

「何とかして下さ~い。助けて下さ~い」

と、私に叫んでくるではありませんか。


驚いて、お母さんと一緒に裁判所の駐車場に向かうと、倉本くんとお父さんが数人に囲まれているのが見えました。


「いったいどういうことですか?」

私が尋ねると、倉本くんのお父さんが、

「被害者の家族の人たちが、1年は軽すぎると言って、私たちをこのように取り囲んで・・・」

と、真っ青な顔で言いました。


すると、取り囲んでいた中の一人が、

「1年なんて軽すぎるんだよ。私たちがどれだけ大変な目にあってるかわかっているのか!お前なんて死んでしまえよ!」

と、倉本くんの方を向いて、吐き捨てるように言いました。


私が、

「被告人に代わって土下座しろというなら私が土下座します。みなさんのお気持ちはわからなくとも理解はすることはできます。でも、裁判所の判決によって、彼は刑務所にいかねばならないのです。この若さで、刑務所帰りの前科一犯になってしまうことも、ご理解下さい」

と、被害者らに訴えると、中の一人が「ちっ!」と舌打ちをして、みんなを促して自分たちの車に帰っていきました。


それから1年半くらい経ちました。

倉本くんが勤務していた会社の社長から電話があり、

「今日、倉本が挨拶に来ました。以前と比較すると見違えるくらいたくましくなってましたよ」

と教えてくれました。


車の運転が必要な会社だったので、再雇用の件は頼めませんでしたが、社長の配慮に、ただただ感謝しました。