ある日、70歳くらいとおぼしき老夫婦と30代くらいの男性が、借金の相談ということで事務所を訪れました。
老夫婦が若い男性の両親だそうで、歳をとってから生まれた子供なのかな~、などとつまらないことを考えた憶えがあります。
「息子が消費者金融などに500万円くらい借金してまして、それまでは何とか返せたのですが、先週、会社をクビになって返せなくなったのです」
父親が説明をはじめました。
息子(和夫くんということにします)は、大柄で少し小太り、何となく視線が定まらなく、ボーっとした感じの男性でした。
私は和夫くんに尋ねました。
「どのような理由で借金をするようになったのですか?」
「えー、よくわからないのですが、給料が安かったのと家にお金を入れていたので、足りなくなると、借りていました」
「パチンコに使ったり、豪華な食事に使ったりしたことはありませんか?」
「えー、パチンコや賭け事は、しません。外食で、えー、飲んだりするときは、居酒屋に行くくらいです」
「それで、500万円になってしまったのですか?」
「えー、ぼくもよくわからないのですが、昨日、あれこれ父が調べてみたら、えー、そのくらいになってました。ぼくも、びっくりしました」
「会社をクビになったのは、どうしてですか?」
「えー、社長に何度も叱られていたのですが、えー、先週の金曜日に、社長からクビだと言われました」
「そのクビになった理由を知りたいのです」
「えー、ぼくが、仕事で失敗ばかりしてて、えー、会社も不景気だというようなことを社長か言ってました」
「それだけですか?」
「えー、ぼくも、しんどい仕事はいやでした。辛抱しろと言われたのですが、えー、ぼく自身、続けるのは無理だと思っていたところ、でした」
「クビにならなくとも、いずれは辞めるつもりだったということですか?」
「えー、はい、そうです」
なるほど、これでは借金を返すのは無理だな~。
ご両親も高齢だし、債務整理ではなく自己破産でいくしかないか。
ということで、和夫くんの自己破産申立を受けることになりました。
ご両親(海野さんとします)から、くれぐれもよろしくと頼まれ、
「大丈夫だと思います。和夫くんはヘンなことにお金を使ってないみたいですから」
と、私は答えました。
各債権者に受任通知(当職が海野和夫の破産申立代理人になりました。つきましては・・・というような文面です)を送付し、破産申立書を作成。
添付書類を持ってきてもらい、裁判所に正式に申立を行いました。
裁判所に破産申立をしてから、2週間後くらい経った、ある日の朝、和夫くんのお父さんから、泣きそうな声で電話がありました。
「先生~、昨日、暴力団風の男2人がウチに来ましてねぇ・・・借金返せと怒鳴りまくりまして・・・」
「ええ!それで和夫くんは家にいたのですか?」
「和夫は、近所の手前、少し離れた親戚の家で面倒を見てもらってますので、昨日は、家内と私の2人でした」
「その男たちは、暴力を振るったり、そうですねえ、例えば、返さないと殴ってやるとか、強迫めいたことは言いませんでした?」
「暴力は振るわれませんでしたが、こんな家燃やしてやるぞ、と脅されまして・・・それで・・・」
「それで?」
「あんまり恐かったし、遠くから来たんだから手ぶらでは帰れない、といつまでも居座られたので、家の中にあるお金をかき集めて、30万円渡しました」
「その男たち、どこの誰だかわかりますか?」
「私にはわかりません。岐阜県の方から来たと言ってました。それで、来週の火曜日にまた来るので、それまでに50万円用意しておけ、と言われました」
「これは、立派な恐喝ですよ。警察には届けましたか?」
「いいえ、まず、先生に相談しようと思いまして」
「わかりました。私が所轄書に出向いて説明します。海野さんも来て下さい。警察署の前で、3時に待ち合わせましょう」
ということで、所轄警察署に出向いて、恐喝の被害があったことを申告しました。
担当警察官の山野さんは、
「わかりました。これは立派な恐喝です。相手の住所と名前はわかりますか?」
「それが、岐阜県から来たというだけで・・・来週火曜日にまた来ると言ってました」
「岐阜県在住の債権者は、和夫くんが申告してくれた債権者全部を洗っても、出てきませんでした」
私が、和夫くんの自己破産申立のファイルにある債権者一覧表を山野さんに見せながら、説明しました。
「今のところ加害者不明ですか~。では、もし来週火曜日に彼らが来たら、私宛すぐに連絡して下さいね。念のため、近くの交番の警察官にも伝えておきますから」
ということで、警察署から、それぞれ帰路につくことにしました。
「先生、本当に来週火曜日に・・・あの連中やってきますかねえ」
不安そうに尋ねる海野さんに対して、
「連中だってバカじゃないから、海野さんが警察に届けるくらいわかるでしょう。まあ、本当にやってきたら警察が捕まえてくれますから、安心して下さい」
と、私は海野さんの不安を取り除こうとしました。
そして、翌週の火曜日がきました。
夕方近くになって、海野さんから電話がありました。
「先生。あいつら来ましたよ。それで、警察の人たちが捕まえてくれました」
「え、本当に来たのですか?ヘンなところで約束を守る連中ですねえ」
「ともかく、助かりました。本当にありがとうございました」
海野さんが、ようやく安堵の気持ちを伝えてくれたので、私も安心しました。
その翌日、岐阜県の弁護士から電話がありました。
「実はですねえ。あの2人、完全に素人なんですよ~。暴力団とは一切関係がないのです。逮捕されたということで、家族から突然泣きつかれましてね~。いかがでしょう。被害金額30万円に迷惑料として10万円追加してお支払いしますから、示談していただけませんか?」
「わかりました。ただ、私はあくまで海野和夫の自己破産の委任しか受けていませんので、被害者から委任を取り付けて、できるだけ示談の方向で考えたいと思います」
私はそう言って、すぐに海野さんに、示談の申し出があったことを伝えました。
「それはもう、30万円返してもらって、10万円いただけるのなら、是非、お願いします」
海野さんは、うれしそうに答えました。
それから、私は、所轄書の山野さんに電話して、
「あの2人の弁護士から示談の申し出がありました。せっかく逮捕していただいたのですが、あの2人は暴力団関係者じゃないそうです。示談に応じてしまっても、山野さんにご迷惑はかかりませんか?」
と、尋ねました。
「ああそうですか。どうぞ示談されて下さい。ウチとしてはあいつらを送検しますから」
と、快諾をもらいました。
ということで示談が成立し、海野さんの銀行口座に約束どおりの40万円が振り込まれました。
岐阜の弁護士から送られてきた示談書には、私が海野さんの代理人弁護士として、記名・捺印して送り返しました。
それから数ヶ月後でしょうか、暑い夏の日、刑事記録を見るために検察庁に行ったら、バッタリと海野さんと出くわしました。
海野さんは、疲れ切った様子で、
「先生。あの事件ってなかったことにできないでしょうか?」
と、訳のわからないことを言い出しました。
「いったいどうしたのですか?」
と尋ねると、
「あれから、警察やここの検察庁で、何度も何度も呼び出されては事情聴取というのですか、それをやらされています。私は、もう本当に疲れましたよ。今日なんて検事さんに、『どうして示談なんかしたんだ!』って叱られました。何とかなりませんか?30万円くらい、もうどうでもよくなりました・・・」
担当検察官を尋ねると、副検事になりたての若い島田さんという人で、私も面識がありました。
おそらく、示談ができてしまったので、起訴するかどうか悩んでいるのだろうなあ~。
上司にどういう決裁を上げるべきかで、苛立ってるんだろう。
「示談については、私は事前に山野さんから快諾を得ています。おそらく、島田さんは海野さんを叱ったのではなく、いらいらしていて、思わずグチってしまっただけだと思いますよ。被害を受けたのだから、その賠償をしてもらうのは当然のことで、海野さんも私も何も悪いことはしていません。心配しないで下さい」
と、私は海野さんを慰めました。
「でもですねえ、この暑い中、遠くからやってきて長時間の事情聴取を受けるのは、もういやなんですよ~。何とかして下さいよ、先生」
海野さんは、なおも不満顔で訴えてきました。
「申し訳ありませんが、これだけは何ともできません。あの時はあんなに怖がっていたじゃないですか。それがなくなったのですから、後の手続くらいは辛抱して下さい。それに、私は和夫くんの手続費用しかいただいていません。こんな事を申し上げるのは失礼ですが、海野さんの警察署への同行や示談については無報酬だということも忘れないで下さいね」
海野さんは、相変わらず不満そうな顔をしています。
私は、かまわず海野さんと別れ、検察庁の事務室に向かいました。
あ~あ。
あの子にしてあの親あり、というか、子が子なら親も親だなあ~。
少しばかりの辛抱ができないのか?
喉元過ぎれば熱さを忘れるというのか?
などなど考えながら、私は新規の刑事記録に目を通しました。